←クリックをお願いします。葬儀のときに読経をすることが多いために、仏教は死者を供養するためのものと考えている方も多いでしょう。
けれど、それだけではありません。
そもそも仏教は生きるためのもの。もちろん、生と死は表裏一体で、死を抜きには語れないのですが「いかに生きるか」ということを考えれば、仏教を抜きにはできないでしょう。
思索を深めれば深めるほど、人間の力だけではどうしようもできないものがあることに気づきます。
しかし、仏法は、求めるなら開かれています。より良く生きたい、全ての人に開かれています。日常語の中に「もとは仏教語」としてずいぶん意味が変化してきたものも数多いのです。
「仏教の言葉」のカテゴリーでは、そんな言葉をご紹介しています。
http://ameblo.mom/engawae/theme-10007550212.html
生きるための仏教の知恵。
それは、仕事で成功しよう、うまく人生を渡り歩こうという知識とは別のものです。
賢くなり、悩みをなくすための知恵ということではなく、「人間は凡夫であり、愚かである」そのことに気づくための知恵であるように思います。
生きている限り、悩みはなくならないでしょう。それが生きているということなのです。
悩みを抱えている自分を否定せず、ありのままをうけとめて、悩みと付き合っていければいいなあと思います。
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