心の縁側/人気ブログランキングへ←クリックをお願いします。

愚痴 (ぐち)

 仕事や人間関係でうまくいかないことがあると、つい愚痴が出ます。愚痴をこぼしたからといって、好転することはないと知っていても、こぼしてしまいます。
 愚痴をこぼされたほうは迷惑な話ですが、聞いてもらうだけでも少し気が楽になるものです。そして「ああ、つまらない愚痴をこぼさなければよかった」と後悔することもあります。

 こぼさなくてもいい愚痴をこぼす。それは、煩悩があるからだと考えてしまいそうになりますが、実は「愚痴」そのものが「三毒(さんどく)」と呼ばれる煩悩の一つです。
 三毒には「貪欲(どんよく)」「瞋恚(しんに=怒り)」「愚痴」があります。

「愚痴」の煩悩ほど、根深いものはありません。
 当たり前のことですが、仏道を知らなければ、仏の知恵を知ることはできません。仏道に目覚めていないうちは、衆生もろとも根本的な無知のなかにいるのです。だからこそ、迷い、錯覚し、愚痴をこぼしてしまうのです。

 無知からくる煩悩である「愚痴」を治すためには縁起観を知る必要があると『涅槃経』に説かれています。

 今生きている私という「果」は、「因」があり、「縁」によって成り立っているかということ。全ての「果」は、自らの「因」に依るものであること。

 それは、振り返れば「いかに生きたか」を真正面から見つめることにもなるでしょう。また、これから先もずっと愚痴をいう状況が続くとは限らず、縁起によってどのようにでも変化する、流動的なものです。
 今生かされているありがたさ、わき出でるいのちの縁に目覚めたとき、「愚痴」をこぼす暇などないと私たちは気づくでしょう。 


メールマガジン『和讃点描』では、木蓮の父・南岳(僧侶)の著書「和讃素描」から1章ずつ配信しています。専門的な内容がほとんどですが、もしご関心がおありの方はどうぞ。
詳細はこちらです。→ http://www.mag2.com/m/0000125708.html