←クリックをお願いします。時代劇で、あまりに悪行を働く悪人に対してこらしめ役の人が「堪忍袋の緒が切れた」と憤る場面を見たことがあるのではないでしょうか。「堪忍袋が切れる」のは積もり積もった怒りが爆発する様子です。
そして「堪忍」は文字通り「こらえしのぶこと、がまんすること」を示しています。
また「こらえてや。堪忍え」と言うと、転じて「許す」という意味を持ちます。こんな優しい言い方をされると、こちらもフッと許してしまいますね。
さて、仏教での「堪忍」は中国に古くからある言葉です。サンスクリット語でクシャーンティ(堪え忍ぶという意味)の訳語として用いられています。
現代語と同じように「困難に耐え忍ぶ」という意味ですが、具体的な困難に次のようなものがあります。
まずは、寒・熱・飢・渇・風・日・蚊(ぶん)・虻(ぼう)・蛇(だ)・蠍(かつ)などの「触(そく=感触)」による苦しみ。
これは肉体的な苦しみです。
さらに、他人から乱暴な言葉を浴びせられることによる精神的な苦しみがあります。
現代語で「堪忍する」が「許す」という意味を持つようになったのも、精神的な辱めを受けたり、辛い仕打ちを受けたりしたときでも、それに対する怒りを抑えて、人の罪を許すということで使われるようになったのでしょう。
現実世界は、堪忍すべき苦に充ち満ちており、「娑婆=堪忍土」と表されるほどです。まさに、堪え忍ぶ「忍土・忍界」そのものです。そして、ときに私たちは、その堪忍土の名の通りに、荒涼とした景色を見るでしょう。
それでもやはり、許しながら許されながら、懸命に生きていくのが、私たち凡夫なのです。
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