←クリックをお願いします。冬、こたつで巣ごもりしているときなどに、用事を頼まれると、ほんのちょっとでも出たくないと思うことはありませんか。
「ちょっと玄関の新聞を取ってきて」
「ええ~、何だか億劫だなあ」
面倒くさいなあ、気乗りがしないなあ、と消極的な態度を示す言葉ですね。こたつの温もりが心地良くて、それこそトイレに立つときくらいしか、こたつから出たくないかのような億劫さです。
さて、この「億劫」。もともとの音は「オクコウ」です。「劫の億倍」「百千万億劫」の略で、仏教では計測不可能なほど、無限に長い時間のことをいいます。
まず「一劫」がどれくらいでしょうか。「劫(こう)」はサンスクリット語でkalpa(カルパ)。無限、永遠を一つの単位とするような考え方です。
『雑阿含経』には「芥子劫(けしこう)・盤石劫(ばんじゃくこう)」の例えを使い、こう書かれています。
「四方と高さが「一由旬(ゆじゅん=7キロ)」の鉄城の中に、芥子を満たし、百年に一度、一粒の芥子を取り去り、全ての芥子を取り去っても、まだ「劫」は終わらない」。(芥子劫)
また「一辺が一由旬の大きな碁石があり、それをやはり百年に一度、白氈(びゃくじょう)という織物で百年に一度払って、その石がすり切れてしまっても、まだ「劫」は終わらない」(盤石劫)
はあ…一体、何年になるのか計算するのも気が遠くなってしまいますが、この「劫」という時間は,仏教では主に2つの事柄に用います。
ひとつは、仏が仏となるまでに要した時間のことです。
もうひとつは、人間が迷いの世界をさすらい、今,人間として誕生し、仏教に出会うまでに要した時間のことです。
広大で幽遠な仏教の世界を知らされる「億劫」ですが、億劫がらずに少しずつ近づいていきたいブッ居の世界です。
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