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「てえへんだ、てえへんだ、兄貴」
「おう、どうした…ほぉ、ほぉ。何ぃっ、そいつあ一大事だ」
なんて、江戸っ子言葉バリバリの時代劇もすっかり影をひそめましたね。最近の時代劇では、今時のイケメン俳優さんたちがいっぱい登場するので
「あらまあ。最近の子供たちは恵まれているわねえ。こんな豪華キャストで歴史を勉強できるなんて」と思います。
 肝心の子供たちは、普通のドラマがいいらしく、せっかくの豪華時代劇も大人がミーとかハーとか言いながら、見ている始末です。

 一大事。それは文字通り、私たちの言葉でも「重大なできごと」なのですが、仏教においては、本当に重大な、このうえない事。ただならぬ、重大事を意味しています。
 『法華経』方便品には「諸々の仏・世尊は唯、一大事の因縁を以ての故にのみ、世に出現したまえばなり」と書かれています。
 お釈迦様は三〇歳で悟りを開かれましたが、それは『法華経』を説くための、前準備としての、小さな教え。つまり小乗であって、この世に生まれてこられたのは、もっと大きな教え(大乗)を説くためだったと書かれています。
 衆生救済という一大事のためにお釈迦様がお生まれになった。

 そんな風に使う「一大事」ですから、教えを聞く仏徒の姿勢から言えば「仏道に志す」「仏様の教えに目覚める」「生きていくうえで本当に自分に必要なものに出あう」「心の底からひっくり返るような真実に目覚める」ようなことの場合に使いたいものです。
 「大事」と言う言葉は、さらにしょっちゅう使います。大事な仕事。大事なかばん。大事な人。
 そんな場合でもちょっと「一大事」の意味を思い返してみましょう。「自分にとって本当に大事だ」と心から思ったときに、本来の意味が生きてくるのです。




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