←クリックをお願いします。「意地っ張り」「意地が悪い」「意地になっている」
「意地」はどうも、あまり良くない意味に使われています。たまに「江戸っ子の意地にかけて」なんていう、根性のある場面で使いますが、たいていは自分よがりな人の様子を表現するとき、活躍する言葉です。
「意地汚い」とかいうように、欲張りな状態にも使われます。
間違っても「あの人は意地がいい」とは言いません。
心はどうしようもなく身勝手なもので、思うようにならなければ、へそを曲げます。途中までやってみて「あ、しまった」と思って引き返そうとしたときに、先に人に注意されると意固地になります。
自分の心でも思い通りにならないのですから、人の心を思い通りに動かせるわけがありません。それなのに「なぜ分かってくれないのだろう」「なぜ手伝ってくれないのだろう」と思うわけですね。
他人に自分の心を押しつけるから、紛争やいさかいが起きてしまうのです。
でも「意地」という言葉をよく見ると、「意識」の「大地」。
そう考えれば、広~いイメージがわきませんか?それもそのはずで、もともと「意地」というのは仏教の言葉です。
人間の感覚を司るものに、五官があります。これらは「眼識」「耳識」「鼻識」「舌識」「身識」を認識します。そして、第六意識「心」があります。この第六にあたる意識は、五つの認識を全て取りまとめて把握する根源であり、個人を成立させる大地であることから「意地」と示すようになったのです。
人の心はままならないもの。衝突し合って、けんかや争い事がおきたら、それを振りかえり、もう一度自分を見つめ直して、コントロールしていけばいいのです。自分のことだけでなく、五つの認識を働かせて、六つめの「大地の心=意地」で見つめてみましょう
メールマガジン『和讃点描』の詳細はこちらです→ http://www.mag2.com/m/0000125708.html