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「有り難う」。
 私たちが普段幾度となく、しかも何気なく口にするこの言葉。
 文字通り「有ることが難い」と言う意味です。

 生きとし生ける、さまざまな命があります。その中で、たまたま、本当に稀なことに、人間として生まれた。驚くべきことです。決して、自分一人の力ではありません。
 そしてさらに、人として生き、苦悩を抱えながらでも、仏様と出会うことができたなら「有り難き」ことなのです。
 これが「人身(にんじん)受け難く」「仏法受け難く」と言われることの本意です。それでも「今已に受け、今已に(仏法を)聴く」という状況であれば、有り難く、本当に感謝の念が湧いてくることでしょう。
 人生は、感謝することを覚えていく過程です。オギャアと生まれて、おっぱいを飲み、おむつを替えてもらい、保育園に送り迎えしてもらいます。小学校に上がると自分の脚で行き帰りをし、中学生ともなれば、段々自分だけで生きているかのような錯覚を持つことがあります。
 ときに何喰わぬ顔で暴言を口にし、親を悲しませることさえあります。しかし、やがて、働くようになれば、社会で生きることの大変さを知ります。自分を育ててくれた親への感謝がわき起こってきます。
 さらに自分が親になれば、子の誕生に命の神秘を思い、子の成長において、楽しみや幸せを感じ、煩悩の存在にも気づきます。自分だけで生まれてきたわけでもない。人間同士や自然の営みの中で、自分自身が生かされてきたのだと思うようになります。そして、人、教え、仏様との出会いに恵まれたなら、稀なる貴重さを知ります。つながり、受け継がれていく命の、輝くような連鎖がそこにあるのです。
 手と手を合わせるのは、その全てに「有り難う」と念じることなのです。仏様と出会い、教えと出会い、命の尊さと出会う。心の底からわき出る「有り難う」は何と美しい言葉でしょうか。



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