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 縁とは不思議なものです。「夫婦は合縁奇縁、気が合うのも不思議な縁のおかげ」。
このように「合縁」と「奇縁」を私たちは一つの言葉としてつかい、不思議な巡り合わせを指す言葉として理解しています。

 仏教では、本来「愛縁機縁」と書き、しかも「愛縁」と「機縁」は別々の言葉です。

 「愛縁」は、親子、夫婦など肉親との縁のことで、煩悩の一つ。人の人生は限りあるもので、例え親と言えど、代わることはできません。一度限りの人生を生きているという厳粛な事実の前に、この「愛縁」も世間的な執心であるとするのが仏法です。出家でもしない限り、切り離しがたいものですね。
 家を捨てるかどうかということではなく、そのような煩悩を人間は背負っているということです。

 そして「機縁」とは、それが縁で仏の教えに目覚めることをいいます。
 誰もが生まれた時から仏法を聞くのではなく、「機」の縁でいつの間にか聞くのです。「機」は、宗教的な素質の違いのことで、例えば次のようにつかいます。

 「親鸞の流罪は、悲しいことではあったが、これにより広く人々が仏道を知る機縁となった」。

 教えを聞くきっかけとしての「機縁」が、現在では、人間関係を示す言葉として使われるようになったのです。
 そう考えれば「合縁奇縁」は、単なる不思議な和合というだけではありませんよね。
 生きることへの目覚め。出会いに教えをいただき、学ぶことの貴重さ。
 いろいろなことを教えてくれる言葉です。

 「合縁奇縁」。誰しも一回きりで、けれどずっとずっとつながっている命の尊さの中で、感謝をしながら日々を過ごしたいものです。



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