「時代が変わった」
惰性で続けていたこともあったけれど、日常に生まれる小さな違和感の全てはこの一言で済まされるような気がする。社会が変わったし、自分の立ち位置も見える景色も変わった。
自分の中に溢れる想いがあって、それを文字にしないといられない時代があった。それをすることで目標が定まり、客観的に物事を見られたし、ブログの読者の反応に支えられている時期もあった。
でも、今現在見知らぬ人と共有したい想いは減り、ふと沸き起こる疑問やモヤモヤはAIという存在に救われる。そして「過去の私」と「現在の私」は、自分として繋がるものではなく、過去のそれは完全に切り離された「あの時の若い私」になっている。
一時はジタバタしていた「雅さん」が微笑ましく、何に渇望しそれに向かって手を伸ばしていたか時には眩しくも感じるけれど、でも、今現在この場所に到達している自身にとても満足しているし穏やかな気分でいる。
母が亡くなってからもわ〜っと揺れていた気持ちや生活も、しんと落ち着き、今はアルゼンチンタンゴが私にとっての「推し活」のような感じになり、ワークショップやミロンガに適度に忙しく移動を繰り返している。
そのうち、横浜との二拠点生活が始まるかもしれない、という予感をも得ながら。
あと3日で65歳の誕生日を迎えるにあたって、このブログにお別れを言う自分がいる。今後あえて文章を書きたくなったら、その時は別のプラットフォームになるだろうし。
生活の「ノイズ」や小さなストレスを排除したいという動きが始まった今、広告が大変に鬱陶しい。だからといって課金をして排除して使い続けるものではなく。単にそれを使わない、と言う結果に落ち着いた。
中学生の頃からひたすら想いを綴り続けてきた。
それはノートであったり手帳であったり。そしてそれを手放すことが出来ずにずっと段ボール箱に入れたまま引っ越しを続けていた。もがき続けていた自分が愛おしく、そしていつかそれを振り返って読む時が来るのではないかという想いを抱きながらそれをキープしていた。
ある日、そんな自分の過去と決別する日が来て、箱ごとアメリカの大きなゴミ箱の中に放り込んだ私がいた。そして多分、その頃からブログと言うものを書き始めたのだと思う。
ずっと忘れていたその出来事を今思い出したのは、きっと今も同じ心境なのかもしれない。
鏡の向こうにいる私。ハイヒールを履き、無理のない真っ直ぐな姿勢で、首が長く肩がリラックスしている。口角が上がり、瞳に光があり、周りに惑わされず、マイペースで穏やかに楽しい時間を過ごす。
多分に人生の終わりまで、この雰囲気を保てるのではないかという自信とともに。
今まで長い間気にしてくださったあなたに申し訳なくて、なんとなくここまでアメーバブログを引っ張ってきたけれど、でも、ここでお別れを言うことにします。
今まで本当にありがとうございました。
あなたがこれからもお元気で穏やかな生活が続けられますように。