選択理論マニアの会 代表のnatsukoです。
外的コントロールの習慣から抜け出すことは
思っている以上に大変なことなんですよね・・・。
その理由は、動物の中でもっとも
私たち人間が「不完全な姿」で生まれてくるから

なのだと思います。
不完全というのは、
誰かの手を借りないと生きていけないという意味です。
例えば、ウミガメは卵から孵ってすぐ、自力で海に向かって動き出します。

生まれる以前から、自分で生きて行けるようにプログラムされているのです。
例えば、馬は生まれてから一時間もすれば歩くようになります。

自分で動き出すことで、誰かに頼らなくても敵から身を守ることができるのです。
例えば、猫
でも犬
でも、生まれてしばらくは目が開かないものの、自分で動き出して、お母さんのおっぱいを探すことができます。
それに比べて、人間の赤ちゃんは、本当に「泣くこと」しかできません。

自分の欲求が満たされていないことを「泣く」ということを通して周囲に知らせ、
誰かの手を借りて、命を永らえるのです。
最初のうちは「誰かをコントロールしよう!」などとは思ってはおらず、
ただ、空腹
や眠さ
や居心地の悪さ
という不快感を泣いて知らせているだけですが、多くの場合、周りの人の協力を得て、その
不快感→快感に変換することに成功します

愛も力も自由も楽しみについても同様で、
やがて私たちは、
誰かが自分のために動いてくれる
ことで、自分の気分が良くなるという経験を積み重ねることになります。
ですから、単純に考えれば、
自分の気分が悪いのは、相手が自分の願っていることをしてくれないから…
・・・という思考になるわけで
「どうすれば、相手は自分の思うようなことをしてくれるのか?
」という外的コントロールのスキルをストックしていくのは当然のプロセスなのかもしれません。。
泣く
駄々をこねる
暴れる
すねる
落ち込む
機嫌をとる
無視する・・・これらは、幼稚園児がストックする外的コントロールの習慣かも


カーリーン先生(グラッサー博士の奥様)が、以前、
「私たちは、誰でも外的コントロール依存なのよ…
」とおっしゃっていたことを思い出します。
生まれたときから、誰かの手を借りて問題を解決しようと
様々なコントロールを試みながら生きた私たちは、
まさに「外的コントロール依存」と言える存在です。
(学校で「外的コントロール」っていう科目は履修してないはずなのにね…
)とすれば、選択理論を通して
自分の願うように(思いのままに)相手をコントロールすることは出来ないこと
相手の願うように(犠牲になって)自分がコントロールされなくてもよいことに意識して取り組むというのは、人間にとって必要な学習なのかもしれません。
自分の基本的欲求を満たす責任は自分にある
ということにたどり着くために・・・。
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カテゴリー変更のために、
過去記事に加筆・修正してアップしています
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外的コントロールから回復中です!と思われる方(笑)
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