靖國神社へ行ってきました。
頭の片隅にはずっとあって、近くで見かけた時とかは漏れなく入ってみたいなぁと思いつつ、なぜかこれまでその鳥居をくぐる事は無かった靖國。
政治的な賛否両論もあり、その辺に全く興味がない私は、口にもあまりした事がない。
だけどね、昨年の年末にふと思ったのです。
あ。年明けは靖國へ行こう
と。
そして、ちょろっと呼びかけて、3名の方が私の『行きたい!』に付き合ってくれて、晴天の下、のんびりと散策して来ましたよ〜。
お賽銭を投げて、拝んだ時の感じは春の草原のような空気感だった。
今日はとても寒くて、日陰には氷が張る気温だったのに、そう言えば神社へ入ってからは、空気は冷たいもののお日様の暖かさが心地よい感じで、拝んでいるときは、なんだか春の草原にいるような錯覚を感じていましたね、私は。
私は第二次世界大戦の関連には、ちょっとした縁があって、今日ここに詳しくは書きませんが、神風特攻隊の出発の地でもあった知覧へも、1人で行った事があります。
このところの映画観まくってる中でも、戦争映画は結構観ていて、再び意識が向いていた、って事も大いに関係していると思います。
特攻については、その辺にかなり精通している人やオタクな人も多く、今更私のような素人?が何か言うのもね、とも思いつつ、ブログと言う個人的な場でもあるし、読みたい人が読めば良い場だし、と思い、ちょっと思うところを書いてみます。
(そもそも、何書くにしても私のブログでいちいち言い訳じみた事を言う必要もないのだけど、きっとなんか私の中で、言い訳のひとつも言わなきゃ書けないものがあるんでしょうね(笑)と言う事で、ひとつお付き合い下さいませ)
あまりにも有名な神風特攻隊ですが、その特攻には、零戦のお腹に爆弾を着けて、行きの燃料だけで飛び立つと言うものの他に、『桜花』と言う名前の付いたエンジンの無い特攻機があったのをご存知でしょうか?
その発想の酷さは、検索してもらえたらたくさん出てくると思うのでここではあえて書きません。
さらに、空軍だけでなく、海軍の潜水艦からも特攻隊は出ていて、人間魚雷回天と言うものが有名です。
それ自体、ほとんど視界も不良な中での成功率は著しく低かったようだし、さらには魚雷どころか潜水服を着て、水深5メートル程の浅瀬に潜んで、槍の先に着いた爆弾を直接船に突き刺して攻撃すると言うものまであったそうです。(もちろん、潜水している兵士も死にます)
どれにしても、共通しているのは一度作戦開始してしまえば、生還の可能性はほぼ無く、成功しようが失敗しようが、行き着く先は死であった、と言う事。
それが特攻と言う作戦であったと言う事です。
たくさんの解説などを見ていると、その成功率の低さと無謀さは、普通の人でも分かりそうなものだけれど、そんな作戦が決行されたと言う事実が、なんとも日本人らしい、人命軽視の発想だと思うんですよね。
日本には昔から何かあったら腹を切って詫びる、と言うような文化もあり、結果を取ると言うよりも、命を捨てて突っ込む行為そのものに意味を持たせる、勝つためと言うよりは、姿勢と気迫を見せる為の作戦であった事が分かります。
それを思うと、人の命が当たり前のように大事にされるようになったのは、日本では本当に近年のことであって、ほんの数十年前までは、大義名分やら何やらのために、沢山の人に死んでもらう、と言うような世界だったのだな。と思いました。
日本の零戦の造りは、パイロットの命を守る造りには全くなっておらず、一発の被弾で死んでしまうような構造になっていました。
今日、あらためてそのコックピットを見たけれど、知覧でも思ったけれど、プラ板一枚の下に操縦席があるんですよ。
あれでは、例え撃たれなくても、高度が高ければ呼吸も大変で気温も相当低くなり、どれだけの気圧を直に受けるのだろうか?と、そのままでも十分にダメージを受けるだろうと分かる。
だけど、飛行距離や小回りの効き方は断トツに良く、アメリカ兵には「ゼロとは一機では戦うべからず」と言う掟があったそうです。
パイロットの命もろとも、使い捨ての発想であった事は間違いがない。
戦闘機ひとつ見ても、決して人に優しい造りではなかった事が分かります。
さらには、初めに書いた『桜花』については、アメリカのどこかの博物館だか記念館に展示されているそれは、その名も『バカボン』と書かれているそうです。
"馬鹿爆弾"と言う意味で『バカボン』。
ほとんど命中する可能性すらない事は、それこそ馬鹿でもわかるのに。
笑えない事実ですよ。
人の命くらいならいくらでも代わりはある。
そんな時代が長かったんですね。。。
何とも男性的な考え方と感じ方だと思う。
私たちの親世代くらいからは、そのほとんどが戦争末期〜戦後の生まれだし、私たちが子供だった昭和40年代頃からは、医療もどんどん進歩して、昔みたいに簡単に人が死ななくなった。
だからこそ、今の私たちは、子どもが死ぬなんて、よっぽどの事がなければ無いことだし、生きているのが当たり前で、自分より長く生きるのが当たり前になっている。
けれど、ほんの三代前までは、何かあれば家族の誰かが簡単に死んでしまうような時代の中を生きていたんだなぁと思うのです。
病気だったり、国の為だったり。
お金が無くて里子に出すとかも普通にあった時代だよね。
子どもと親の絆と言うか、切っても切れない様な感覚も、実は普通になってきたのはこの数十年の事なんだよな、と、あらためてそんな事を思った本日。
靖國神社への参拝は、私の中ではむかーしからの流れの中での今日であり、そこへ行った事からこんな着地点へ来ています。
戦争犯罪がどーの、とか、政治がどーの、と言うことよりも、ただ独りの人の親として、人の子として、時代の流れの中で国の方針のために死ぬしかなかった人達が存在したと言う事が、なんとも言い切れない気持ちにさせられます。
体裁のために命を落とせる、と言うのは、やっぱり男性的、動物的な脳の中から出てくる感じがしていて、命そのものに目が向くと言うのは、女性的、人間的なのかも知れません。
だとすると、世の中は、と言うか日本は、この数十年でようやく人間的な社会になって来たのかもしれないね。
あ。そうそう。
靖國神社は、神社と言う名前だけれど、エネルギー的にはお寺の様な感覚を受けました。
増上寺や京都の東本願寺を思い出す、そんな空気感だったな。
やっぱり、神様よりも仏様が沢山いるところなんだな、と感じました。
今日はちょっとオタク記事だったかな。


