今回の参詣は神田須田町の豊潤稲荷神社へ。
淡路町駅と靖国通りの須田町交差点との中間に位置する。
須田町といえば、神田まつや、いせ源、竹むらなど、戦災を免れ江戸下町の情緒を感じさせる歴史的建造物が多く残るエリア。
2013年の失火による焼失が起きるまでは、神田やぶそばも歴史的建造物として東京都から指定を受けていた。
当社周辺は、古くは江戸時代から、明治、大正にかけて、ちょうどこの辺りに青果市場(神田市場)があった。
特に当地は連雀町といい、連雀(れんじゃく)とは行商が背負う荷を体に固定するための道具のことで、行商人のことを連雀衆と言った。そこから付けられた地名であり、市場の敷地面積は1万5000坪ととても規模が大きかったらしく商人の住まいも兼ねていたという。
その青果市場は、昭和3年に秋葉原へ、現在は平成2年に大田区に移転した。
当社は大正12年に、神田市場の崇敬者によって創建された、比較的新しいお稲荷さん。
平成17年(2005)の社殿移転の際に、以前の社殿に用いられていた屋根の一部が新社殿の壁に掲げられ、鳥居も当時のものをそのまま使用している。
またその移転に際に、旧社殿の中から、創建より少し前の大正6年12月の日付が記された稲荷勧請に係わる古文書が2通発見されたという。
日蓮宗の僧侶によって市場内に祀られたという事だが、当社のことなのかまでは記されいない。
御由緒 本殿内掲示より字体改行などそのまま記載
豊潤稲荷神社新社殿の由来
須田町中部町会
大正十二年、関東大震災により街並みが壊滅状態となったが、
その後区画整理が行はれ、この辺りは当時神田市場であった
こともあり、 市場関係者や町内居住者によって、 商売繁盛の
守護神として 〝 お稲荷様 〟 が勧請され、 その区画整理の
保留地に、 昭和五年豊潤稲荷神社として創建された。
その後崇敬者有志により、 平成三年玉垣の修理、 平成七年
には社殿の修理が行はれたが、 今般〝ハイツモントレ神田〟
の建築により、施主丸糸殖産 (株) 殿、元地主 (株) 陽友殿、
及び当町との協議相調い両社の多大のご協力のもと (株)
大本組殿の施工にて、 ここに移転落成の運びとなった。
尚、旧社殿移転の際、内宮、内陣より当神社の縁起に係はる
と思はれる古文書を発見。 それには大正六年の年号があり、
日蓮宗の寺院によって勧請された旨の趣旨があるが、 その
所在の場所等については詳らかではないが、 当神社勧請の
経緯に何等かの関係があったのではないかと思はれる。(前身?)
平成十八年五月吉日
※由緒書中の 「 (前身?) 」 の一文もそのまま記載してます。
2010年2月撮影
当社は、正月3か日、2月初午の日、毎月1日・15日と神田祭の日には、社殿の扉が開かれる。
「豊潤稲荷」の銘が入った朱い提灯が見受けられ、丁重に祀られた御本殿と、とても美しい白狐が姿を現す。
内宮内陣より発見されたという古文書が社殿内に掲示されていました。
ひとつは「御本尊之事」、もう一つは「我即歓喜之事」とある。残念なことに、たった97年前の文書にも関わらず、私はそれ以上読むことができない。
個々の語から検索してみたところ、日蓮が残した「持法華問答鈔(抄)」という言葉の一部を引用したものらしい。
”持法華問答鈔云く釋迦一佛の喜び玉ふのみならず
諸佛出世の本懐なれば十方三世の書佛も喜び
玉ふべし我卽歓喜諸佛亦然と説きたれば佛の
喜び玉ふのみならず神も随喜し玉ふべし傳教大師
是と講じ玉ひしが八幡大菩薩は紫の袈裟を布施し
空也聖人是をよみ玉ひしが松尾明神は寒風を
防ぐ去れば七難卽滅七福卽生と祈んにも此の御経
第一なり現世安穏と見えたればなり他国侵逼難自界
叛逆難の御祈祷にも此妙典に過ぎたるは無し
令百由旬内無諸衰患と説れたれはなり
法華妙経釋尊金言日蓮●御判
奉信敬
当町内氏子各自名々世話人有志者等
家内安全商業隆盛子孫長久々病患
総滅年中安穏御守護程●戸
奉祈南無
南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
大正六年十二月
稲荷山
高橋日経
※基本的に草書体や歴史的仮名遣いは読めないので誤訳があるかも。
「●」はどうしてもわからず。
もう一枚の古文書「御本尊之事」は、まったく読む気がしないほど読みずらいので割愛。
「日女御前、大曼荼羅、四大天王、普賢文殊、日天月天第六天魔王龍王阿修羅、不動愛染、鬼子母神十羅刹女」などの文字が見られ、日本國の守護神たる天照大神八幡大菩薩天神七代地神五代の神々総じて大小の神祇等體の神・・・と色々な神様の名前も見られる。
これも同年同日の文書。神仏混淆(神仏習合)の禁止後数十年経った大正時代にも関わらず、まだその名残りを思わせる。
この古文書を書いた人物が、日蓮宗の僧であり稲荷山の山号を称していることから、岡山市の最上稲荷(さいじょういなり)と所縁がある人物だろうか。
ここに書かれた稲荷と当社が同じであるとしたら、元の御本尊は最上位経王大菩薩なのかもしれない。
もちろん同地区の稲荷という事で合祀されただけかもしれないけど。
写真は2010.2.13と2014.11.16撮影
社号 豊潤稲荷神社
祭神
創建
祭日 毎月一日・十五日、正月三が日、二月初午、
神田祭の時は社殿が開扉される。
末社
社務所
所在地 千代田区神田須田町1-8







