私は最近、再確認できたことがある。
私は「受け取ること」が苦手だった。
人から親切にされること。
お金をいただくこと。
自分の好きなものを選ぶこと。
どれも、どこか居心地が悪い。
だから私は、無意識のうちに安いものを選び、値切ることはせず、時には多めに支払っていた。
以前は、それを「性格」だと思っていた。
でも、本当は違った。
その奥には、
「受け取ることには罪悪感がある」
という感覚があった。
さらに深く見ていくと、その罪悪感の根には、
「自分を低くしていた方が愛される」
という、とても古い思い込みがあった。
私は、小さくいること。
譲ること。
遠慮すること。
そんな生き方の方が、人にも神さまにも愛されると、どこかで信じていたのだ。
だから、受け取ろうとすると身体が抵抗する。
頭では、
「受け取ってもいい。」
「適正な対価をいただいていい。」
そう理解していても、身体は別のことを言う。
「そんなことをしたら嫌われる。」
「欲深い人になる。」
「罰が当たるかもしれない。」
これは意志が弱いからではない。
長い年月をかけて神経系が覚えた、「小さくしていれば安全」という生存戦略。
だから、変えることに抵抗があるのは自然なこと。
でも、本当の愛は、自分を粗末にした先にあるものではない。
与えることだけでなく、受け取ることもまた、愛の循環の一部。
これからは、何かを選ぶたびに、自分に問いかけてみたい。
「私は、本当はどちらが好き?」
もし、その瞬間に、
「安い方がお似合いだから。」
そんな声が聞こえてきたら、優しく笑ってあげよう。
「ああ、また古い契約が顔を出したね。」
そして、もう一度、自分に伝えたい。
私は、自分を小さくしなくてもいい。
私は、自分を粗末にしなくてもいい。
愛されるために、自分を犠牲にし続ける契約は、もう終わりにしていい。
新しい契約は、とてもシンプルだ。
「私は、そのままで愛されている。」
これは、きれいごとではなく、これからの人生で何度も立ち返る「土台」。






