好きになる必要はありません。
「この人は敵にまわしたくないって思った。」
これ、Sさんに云われた言葉。
サラリーマン時代の同期ね。
過去記事 に登場してたでしょ。
Sさんとは、研修で2週間一緒だったの。
全国の対象者を一か所に集めて。
いま考えるとすごいよな~。
そのなかで、ディベートの授業があってね。
あるテーマに際して、賛成側と反対側に別れて。
それぞれ、正当性を主張し合うの。
で、今度は立場を逆転して、もう一度。
Sさんとは、数年に一度しか会わないのにね。
会った時は、毎回、云われるの。
このディベートでの私について。
「徹底的にやり込めてたよね。」
「少しでも弱みを見せると、容赦なかったし。」
「相手、ビビってたよ。」
よほど印象に残ってたんだろうね。
もう20年近く経つんですけど。
ディベートだけじゃなくてね。
普段からこんなかんじでした。
30代までは。
28歳の時ね。
職場の女性を泣かせてしまったことがあります。
3年後輩ね。
いまでも鮮明にシーンが思い浮かびます。
仕事の段取りでね。
お願いしていたことをやってくれてなかったの。
「私は、違うと思います。」
「だったら、先に云えよ。」
彼女も気が強かった。
けど、そういうところを見せられるとね。
ポキッと折りたくなるの。
全力で。
彼女の立場で考えられる言い分を想定。
すべて逃げ道を防いでおいて。
真綿で締めつける。
徹底的に叩く残虐性。
それを楽しむ冷酷さ。
ドSだね(笑)
固いモノって、限度を超えるともろいよね。
真昼間のオフィス。
みんなが見てるところで泣かれたの。
「あ~、泣かしちゃったよ。」
周囲の突き刺さるような視線。
その場にいることもつらかったけどね。
後から、強烈な自己嫌悪に。
相手を思いやる余裕もなかったのかって。
その後もずっとトラウマでね。
自分が好きになれないシンボルの出来事。
けど、100人以上いた当時の職場でね。
いまでも年賀状のやり取りをしているのは、直属の上司と彼女だけ。
おかげさまで(笑)
「陰極まれば陽になり」ですね。
彼女とのことだけでありません。
相手を攻撃する意図がなくてもね。
いつの間にか、責める口調に。
「弱い犬ほど、よく吠える。」
まさにそんなかんじ。
不安だったんです。
ここでしっかり主張しておかないとね。
認めてもらえないんじゃないか?
受け容れてもらえないんじゃないか?
いまの自分じゃダメだから。
もっと頑張らないと。
もっとアピールしないと。
つらかったなあ。
つらいことさえ、気づいてなかったなあ。
だから、気の許せる友達もごくわずか。
心を開くことが面倒くさい。
傷つくのが怖かった。
本音を見せないようにしっかりガード。
いまでも色濃く残ってるなあ。
そんな私がね。
「男性にはあまりない優しさですね。」
「見てるだけで楽しいです。」
「一緒にいると和みます。」
は?
誰のこと?
俺?
いやいや、わかってないなあ。
後輩の女の子を泣かせるぐらいきついヤツなの。
こんなの優しさじゃなくて、誰でもしてるやん。
ほんとに優しいっていうのは、もっと母性的で慈愛に溢れる・・・。
素直に受け容れられないの。
そんなこと、云われたことないから。
40年近く。
でも、いろんな人から繰り返し云われてね。
各地にセミナーでお招き頂いて。
驚くぐらいにご縁が広がってね。
なんだ、この変化は。
もしかして、受け容れてもいいのかな?
自分のことを好きになっても。
いきなりプールに飛び込むのは怖いなあ。
まずはプールサイドに腰かけて。
心臓から遠いところから、徐々に水を。
そんなかんじ(笑)
変わったのかな、俺?
自分の変化ってね。
一番わからないでしょ。
周囲の反応は、確かに違う。
ってことは、変わったんだろう。
じゃあ、その要因は?
『どぅる~ん』
だな。
施術をきっかけにつかんだ意識の在り方。
セミナーでもご案内してますね。
私のキーコンセプト。
相手と心身ともに融合する感覚。
けど、どぅる~んってできるようになったからわかります。
まだまだ、「きゅっ」としている時間のほうが長い。
圧倒的にね。
ずっと「きゅっ」としているとね。
それがフツー。
緊張している自覚がない。
そうじゃない状態を経験してね。
初めてわかります。
感覚として。
相対的に。
この「どぅる~ん」でさえね。
「去年は、まだ自分の意見を通されてましたよ。」
「けど、最近は柔らかくなりましたね。」
「『どちらかでなく、どちらも』に近づいて来られたなって。」
常連のMさんに云われました。
未だ、成長中。
ミロでも飲むか(笑)
自分でも変化がよくわかりません。
けど、確実に言えること。
心地イイ。
以前より楽。
自分を今より好きになれそう。
これは、シェアしたいでしょ。
私と同じようにね。
バリアを張って生きて来られた。
認められようと頑張ってきた。
よく吠えてた(笑)
そんなあなたに。
心の在り方がね。
少しずつ変わっていきます。
少しずつだけどね。
変化を実感できるって、スゴクない?
「どぅる~ん」ってなれたらね。
自分はもちろんゆるみます。
ほっこりと温泉気分。
けど、周囲の人もそうなります。
触らなくても。
その場にいるだけで。
『半径3mが温泉に』
でしたね。
そこへ至るキーワード。
「土に還(かえ)る」
死んじゃったみたいですね。
陰陽五行ではね。
「土」とは、「全体」を表します。
それぞれの存在における全体ね。
「全体」ってことはね。
両極性があるってこと。
正反対の要素を兼ね備えている。
例えば、私。
春の木気が旺盛。
年中、「木」の昂る脈が出てますし(笑)
特に、春は木気が旺盛。
また、何か新しいコトを始める時も。
そのコトにおける「春」だから。
つまり、木気が過剰になりやすい。
上へ上へ。
先へ先へ。
意識も「現在」より「未来」へ。
先々のコトに思いをやって。
イライラと焦りやすい。
大阪では、「イラち」の呼称を拝命しております。
私は、「イラち」である。
これ、私が認識する個性。
周囲の人もそう思ってると。
確かにそうなんだけどね。
そうじゃない人もいるってことに気づいたの。
特に、施術中の私しか知らない人はね(笑)
「なんかゆったりと優しいかんじですね。」
いやいや。
違う違う。
イラちだから、イラち。
でも、その人にとっては、そうなんだよね。
で、私にもそういう面はあるんだ。
これまでは、頑なに否定していたの。
私は、「イラち」であってね。
落ち着きもないし、いつもセカセカしてる。
「ゆったりと優しい」ってのは、○○さんみたいな母性あふれる人のことだよって。
後輩の女の子を泣かせるヤツなんて優しくないよ。
しつこいでしょ(笑)
でも、陰陽五行の観方を学んでね。
「あっ、私の中にもすべてがあるんだ。」
「自分の観方でしか自分のことを観られていない。」
「可能性としては、すべての要素を含んでいるんだ。」
個性はあるけどね。
「全体」という基盤の上に乗っかってるの。
その基盤となる全体。
五行では、「土」とネーミングされています。
エネルギーとしては、「均(なら)す」作用。
平らにね。
それは、物理、生理、心理に作用。
だから、日本人の顔は、平らなんです。
他国に比べて、相対的にね。
日本人は、「土」の気が旺盛な民族。
カラダ、つまり、物理がそうだからね。
心理にも「土」が作用。
場を均す。
波風立てず、調和をはかる。
個の主張は抑える。
場の調和を第一にする。
過剰になるとね。
出る杭は打たれる社会。
日本でしょ(笑)
ただでさえ、「土」の気が旺盛な日本人。
もちろん、そのなかでも「木」や「火」が旺盛な方も。
けど、それも「土」という基盤のうえでの「木」や「火」。
日本人で「土」の気が旺盛な人はね。
「土」という基盤のうえで、さらに「土」。
日本人のなかでもさらに顔が平らで面積が大きい。
横から見たら幅が狭く、全体的に四角い。
鼻に存在感があり、唇が厚い。
これ、マジ土(笑)
そんな人は、心理もマジ土。
逆に、「土」の気が過剰になりがち。
実しやすい。
場を重んじる心理が過剰に働くと?
八方美人、優柔不断、主体性がない。
いわゆる「ブレやすい」。
例えば、ほんとは広島カープのファンなのにね。
中日ドラゴンズのファンの先輩と試合を観に行くとするでしょ。
名古屋ドームでの中日VS広島。
当然、中日側の応援席になるわけ。
>今日の試合、中日のサヨナラ勝ち。
>周りは中日のファンだらけ。
>広島を応援していたはずなのに、つ、つい、立ち上がって喜んでしまいました。
あらら、場に合わせてしまったのね。
>しかも私、一緒に行った先輩が中日ファンなので、荒木(中日の選手)のユニフォームを着て応援していたんです。
>荒木のヒットから始まったサヨナラ勝ちだったので、周りのおじさんに「荒木偉い!」「よくやった!」とか言われ、ハイタッチを求められ・・。
>まあいっか、と大喜びしておきました。
荒木のユニフォーム着たら、そうなるでしょ(笑)
で、一緒に大喜びできるのがすごい。
柔軟というか、節操がないというか。
>ごめん・・広島。
>この程度の気持ちでカープファンを名乗ってごめん・・。
いちおう、申し訳なく思ってるんだ(笑)
でも、それってね。
「土」の特性が表れてるんです。
「境界が曖昧」
ってところが。
「縁側(えんがわ)」ってあったでしょ。
いまでも純粋な日本家屋にはありますよね。
あれって、家の「内」と「外」をつなぐ「なか」なんですよね。
ご近所さんも縁側までは、気軽にやって来て腰をかけます。
でも、それより内側は、「うち」。
その家の人だけの領域。
障子やふすまという物理的にはソフトな境界線。
欧米の重厚なドアに比べるとね。
あくまで心理的な境界。
で、誰もがそれを感じられる社会だから。
最近、読んだ本にね。
『日本人の身体 』
安田登著 ちくま新書
そのなかで、縁側について語られててね。
縁側が「うち」と「そと」を分ける境界としての役割について、
>あっちだって丸見えだし、物理的には境界はないに等しい。
>それは、人々がそこを境界だと「思った」ときにはじめて境界になるという、
>同意によって成立する境界なのです。
>相手の見られたくない部分、知られたくない部分を見ても、見なかったことにする。
>「見て見ぬふり」の文化なのです。
>それは、相手の見られたくない部分は、実は自分の一部でもあるということを知っているからです。
>相手が知られたくないことは、実は自分も持っていることでもある。
>境界に置かれる部分というのは、すべての人に共有のものです。
>日本の境界は、なくてある境界、あってない境界、「幻影的実在としての境界」なのです。
曖昧ですよね。
すべてにおいて境界が曖昧。
時間さえもですよ。
「いま」と「昔」も。
だから、「いまは昔」で始まるでしょ。
「いまとなっては昔の話」っていうのは、直訳ですよ。
「いま」と「昔」にも境界がないのです。
日本の昔話は。
もちろん、自分と自分以外も。
この「自分以外」とは、人だけでなく、動物、植物、物、自然。
すべてです。
境界が曖昧。
カープファンなんだけどね。
中日ファンの気持ちもよくわかる。
中日の応援席で一緒に大喜びすることもできる。
境界が曖昧な「なか」にいませんか?
これ、「全体」であり、「中心」でもある「土」だからこそ、できる芸当。
縁側のある家で育った私。
縁側が好きです。
アタマのOSに「曖昧」がインストールされています。
だから、冒頭のディベートもね。
同じく『日本人の身体』では、「和して同ぜず」という言葉を用いて、
>ディベート、これは「同」の議論です。
>ディベートの語源は「戦う」ということ。
>相手を打ち負かして、自分の意見を通そうという議論がディベートです。
>そして、その議論のあとはディベートで勝った側、
>すなわち意見が通った側に従うことになるわけで、
>これは「同」なのです。
>理想的な「和」の議論とは、「三人寄れば文殊の智慧」の議論です。
>議論に参加している人が、誰も考えてもいなかった結論が自然に導き出されていく、
>そういう議論が「和」の議論なのです。
>この「文殊の智慧」は、誰の中にもなかったものなのにもかかわらず、
>すべての人の中にもともとあったものでもあります。
>だから、そういう意見が出てきたときには、
>みんなが「おお、実はそれを言いたかったんだ」となったりします。
「和」ってね。
違っていいんです。
調和なんです。
違ったうえで。
違ったままで。
カープファンでいいんです。
中日ファンの応援席でも。
場として、調和しているんです。
我慢しているんじゃなくてね。
喜びをシェアしてる。
「和を以って貴しと為す」
合わせて、「同じ」にすることが「和」ではない。
違った者同士が違ったまま存在できる。
その曖昧な境界が「なか」。
スタバがヒットしたのも同じ。
会社でも家でもない「第3の場」。
「なか」だから。
「うち」と「そと」だけの世界。
メリハリついてますね。
けど、日本人には「なか」が必要。
曖昧さのなかにね。
美しさ、優しさ、誇りを見出せる民族なんだと思う。
お手軽に味わいたいあなた。
「なか」のモデルハウス。
綾華さんのブログは、こちら 。
読めば読むほどにね。
「なか」を味わえます。
これだけのクオリティーでね。
毎日、記事をアップできるってスゴい。
さすがカープ女子。
さすがフツーじゃないOL。
さすが「土」の金メダリスト。
まだまだ、「なか」を深めたい私。
今回、三顧の礼を尽くしてね。
コラボセミナーをお願いしました。
はい、「なか」のスペシャリスト綾華さんに。
「綾華さんの露払いを務めさせてください。」
「あら、そう。もちろん、前座よ。あなたは。」
踏んで。
踏んで。
もっと踏んで。
ドSであるということは、ドMでもあるってこと。
陰陽の法則にあります。
「それは光栄ですね。じゃあ、僕も。」
なんと沖縄の照喜名弘彦 先生も。
二人を前座に。
「なか」のスペシャリストが語られます。
日本人の「らしさ」を輝かせるために。
「和して同ぜず」
受け容れられる自分と受け容れられない自分。
受け容れられる自分に受け容れられない自分を「同」ずるのは、しんどい。
異なる両者がともに存在できる「和」する境界「なか」。
「なか」を味わえれば。
私も変われるかもしれません。
そこでは、自分を好きになる必要はありません。
自ずと好きに「なる」のです。
さあ、私とともに。
綾華さんから、「なか」を学びませんか?
< 「カラダとの対話」と「どぅる~んの意識」を取り入れた生活術セミナー in 名古屋 >
1.日時
平成27年5月23日(土)10:00~16:30 ※9:30開場
2.場所
ウインクあいち 1008会議室 ※名古屋駅より徒歩5分
3.定員
20名
4.参加費
12,000円
5.内容
・第1部 カラダとの対話 ~リトル○○となかよしになろう~
講師 照喜名 弘彦 (元氣サポートルームkokokara代表)
・第2部 日本人は「土」の民族 ~「どぅる~ん」のエネルギーとは~
講師 谷田 学 (谷田鍼灸院)
・第3部 丹田に氣を納めたら自分を信じることができた ~へたれあやかとリトルアヤカの469日~
講師 吉川 綾華 (普通じゃないOL)
※吉川綾華さんのブログでの告知記事は、こちら 。
6.お申込方法
主催者:吉川綾華さんのこちら の申込フォームより
7.お問合わせ
吉川綾華さんの以下のアドレスまで
以上
八方美人?
優柔不断?
「場」の空気を読んで合わせてしまう?
神様からその才能を与えてもらったことに。
心から感謝できますよ。
日本の「なか」、名古屋でお待ちしています。
では、今宵はこのあたりで。