「カラダとの対話」と「どぅる~んの意識」を取り入れた生活術セミナー in 名古屋 | まなブログ

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脈の変化でカラダの声を聴く『脈ナビ』による施術、セミナーをご案内しています。
大阪府堺市で鍼灸院を開業しています。
日々の気づきをつづります。

好きになる必要はありません。




「この人は敵にまわしたくないって思った。」



これ、Sさんに云われた言葉。

サラリーマン時代の同期ね。

過去記事 に登場してたでしょ。



Sさんとは、研修で2週間一緒だったの。

全国の対象者を一か所に集めて。

いま考えるとすごいよな~。


そのなかで、ディベートの授業があってね。

あるテーマに際して、賛成側と反対側に別れて。

それぞれ、正当性を主張し合うの。


で、今度は立場を逆転して、もう一度。



Sさんとは、数年に一度しか会わないのにね。

会った時は、毎回、云われるの。

このディベートでの私について。



「徹底的にやり込めてたよね。」

「少しでも弱みを見せると、容赦なかったし。」

「相手、ビビってたよ。」



よほど印象に残ってたんだろうね。

もう20年近く経つんですけど。



ディベートだけじゃなくてね。

普段からこんなかんじでした。

30代までは。



28歳の時ね。

職場の女性を泣かせてしまったことがあります。

3年後輩ね。

いまでも鮮明にシーンが思い浮かびます。


仕事の段取りでね。

お願いしていたことをやってくれてなかったの。


「私は、違うと思います。」


「だったら、先に云えよ。」


彼女も気が強かった。


けど、そういうところを見せられるとね。

ポキッと折りたくなるの。

全力で。


彼女の立場で考えられる言い分を想定。

すべて逃げ道を防いでおいて。

真綿で締めつける。


徹底的に叩く残虐性。

それを楽しむ冷酷さ。

ドSだね(笑)



固いモノって、限度を超えるともろいよね。


真昼間のオフィス。

みんなが見てるところで泣かれたの。



「あ~、泣かしちゃったよ。」



周囲の突き刺さるような視線。


その場にいることもつらかったけどね。

後から、強烈な自己嫌悪に。

相手を思いやる余裕もなかったのかって。


その後もずっとトラウマでね。

自分が好きになれないシンボルの出来事。



けど、100人以上いた当時の職場でね。

いまでも年賀状のやり取りをしているのは、直属の上司と彼女だけ。

おかげさまで(笑)

「陰極まれば陽になり」ですね。



彼女とのことだけでありません。

相手を攻撃する意図がなくてもね。

いつの間にか、責める口調に。



「弱い犬ほど、よく吠える。」



まさにそんなかんじ。

不安だったんです。


ここでしっかり主張しておかないとね。

認めてもらえないんじゃないか?

受け容れてもらえないんじゃないか?


いまの自分じゃダメだから。

もっと頑張らないと。

もっとアピールしないと。



つらかったなあ。

つらいことさえ、気づいてなかったなあ。


だから、気の許せる友達もごくわずか。

心を開くことが面倒くさい。

傷つくのが怖かった。


本音を見せないようにしっかりガード。

いまでも色濃く残ってるなあ。



そんな私がね。



「男性にはあまりない優しさですね。」

「見てるだけで楽しいです。」

「一緒にいると和みます。」



は?


誰のこと?


俺?


いやいや、わかってないなあ。

後輩の女の子を泣かせるぐらいきついヤツなの。


こんなの優しさじゃなくて、誰でもしてるやん。

ほんとに優しいっていうのは、もっと母性的で慈愛に溢れる・・・。



素直に受け容れられないの。

そんなこと、云われたことないから。

40年近く。



でも、いろんな人から繰り返し云われてね。

各地にセミナーでお招き頂いて。

驚くぐらいにご縁が広がってね。



なんだ、この変化は。


もしかして、受け容れてもいいのかな?

自分のことを好きになっても。



いきなりプールに飛び込むのは怖いなあ。

まずはプールサイドに腰かけて。

心臓から遠いところから、徐々に水を。


そんなかんじ(笑)



変わったのかな、俺?


自分の変化ってね。

一番わからないでしょ。


周囲の反応は、確かに違う。

ってことは、変わったんだろう。



じゃあ、その要因は?



『どぅる~ん』



だな。



施術をきっかけにつかんだ意識の在り方。

セミナーでもご案内してますね。

私のキーコンセプト。


相手と心身ともに融合する感覚。



けど、どぅる~んってできるようになったからわかります。

まだまだ、「きゅっ」としている時間のほうが長い。

圧倒的にね。


ずっと「きゅっ」としているとね。

それがフツー。

緊張している自覚がない。


そうじゃない状態を経験してね。

初めてわかります。


感覚として。

相対的に。



この「どぅる~ん」でさえね。



「去年は、まだ自分の意見を通されてましたよ。」

「けど、最近は柔らかくなりましたね。」

「『どちらかでなく、どちらも』に近づいて来られたなって。」



常連のMさんに云われました。


未だ、成長中。

ミロでも飲むか(笑)



自分でも変化がよくわかりません。

けど、確実に言えること。


心地イイ。

以前より楽。

自分を今より好きになれそう。



これは、シェアしたいでしょ。

私と同じようにね。


バリアを張って生きて来られた。

認められようと頑張ってきた。

よく吠えてた(笑)


そんなあなたに。


心の在り方がね。

少しずつ変わっていきます。


少しずつだけどね。

変化を実感できるって、スゴクない?



「どぅる~ん」ってなれたらね。

自分はもちろんゆるみます。

ほっこりと温泉気分。



けど、周囲の人もそうなります。

触らなくても。

その場にいるだけで。



『半径3mが温泉に』



でしたね。


そこへ至るキーワード。



「土に還(かえ)る」



死んじゃったみたいですね。


陰陽五行ではね。

「土」とは、「全体」を表します。

それぞれの存在における全体ね。



「全体」ってことはね。

両極性があるってこと。

正反対の要素を兼ね備えている。



例えば、私。

春の木気が旺盛。

年中、「木」の昂る脈が出てますし(笑)


特に、春は木気が旺盛。

また、何か新しいコトを始める時も。

そのコトにおける「春」だから。


つまり、木気が過剰になりやすい。

上へ上へ。

先へ先へ。


意識も「現在」より「未来」へ。

先々のコトに思いをやって。


イライラと焦りやすい。

大阪では、「イラち」の呼称を拝命しております。



私は、「イラち」である。

これ、私が認識する個性。

周囲の人もそう思ってると。


確かにそうなんだけどね。

そうじゃない人もいるってことに気づいたの。

特に、施術中の私しか知らない人はね(笑)



「なんかゆったりと優しいかんじですね。」



いやいや。

違う違う。

イラちだから、イラち。


でも、その人にとっては、そうなんだよね。

で、私にもそういう面はあるんだ。



これまでは、頑なに否定していたの。

私は、「イラち」であってね。

落ち着きもないし、いつもセカセカしてる。


「ゆったりと優しい」ってのは、○○さんみたいな母性あふれる人のことだよって。

後輩の女の子を泣かせるヤツなんて優しくないよ。

しつこいでしょ(笑)



でも、陰陽五行の観方を学んでね。



「あっ、私の中にもすべてがあるんだ。」

「自分の観方でしか自分のことを観られていない。」

「可能性としては、すべての要素を含んでいるんだ。」



個性はあるけどね。

「全体」という基盤の上に乗っかってるの。



その基盤となる全体。

五行では、「土」とネーミングされています。



エネルギーとしては、「均(なら)す」作用。

平らにね。


それは、物理、生理、心理に作用。

だから、日本人の顔は、平らなんです。

他国に比べて、相対的にね。



日本人は、「土」の気が旺盛な民族。

カラダ、つまり、物理がそうだからね。

心理にも「土」が作用。


場を均す。

波風立てず、調和をはかる。


個の主張は抑える。

場の調和を第一にする。


過剰になるとね。

出る杭は打たれる社会。


日本でしょ(笑)



ただでさえ、「土」の気が旺盛な日本人。


もちろん、そのなかでも「木」や「火」が旺盛な方も。

けど、それも「土」という基盤のうえでの「木」や「火」。


日本人で「土」の気が旺盛な人はね。

「土」という基盤のうえで、さらに「土」。


日本人のなかでもさらに顔が平らで面積が大きい。

横から見たら幅が狭く、全体的に四角い。

鼻に存在感があり、唇が厚い。


これ、マジ土(笑)


そんな人は、心理もマジ土。

逆に、「土」の気が過剰になりがち。

実しやすい。


場を重んじる心理が過剰に働くと?


八方美人、優柔不断、主体性がない。


いわゆる「ブレやすい」。



例えば、ほんとは広島カープのファンなのにね。

中日ドラゴンズのファンの先輩と試合を観に行くとするでしょ。

名古屋ドームでの中日VS広島。

当然、中日側の応援席になるわけ。



>今日の試合、中日のサヨナラ勝ち。

>周りは中日のファンだらけ。

>広島を応援していたはずなのに、つ、つい、立ち上がって喜んでしまいました。



あらら、場に合わせてしまったのね。



>しかも私、一緒に行った先輩が中日ファンなので、荒木(中日の選手)のユニフォームを着て応援していたんです。

>荒木のヒットから始まったサヨナラ勝ちだったので、周りのおじさんに「荒木偉い!」「よくやった!」とか言われ、ハイタッチを求められ・・。

>まあいっか、と大喜びしておきました。



荒木のユニフォーム着たら、そうなるでしょ(笑)

で、一緒に大喜びできるのがすごい。

柔軟というか、節操がないというか。



>ごめん・・広島。

>この程度の気持ちでカープファンを名乗ってごめん・・。



いちおう、申し訳なく思ってるんだ(笑)


でも、それってね。

「土」の特性が表れてるんです。



「境界が曖昧」



ってところが。




「縁側(えんがわ)」ってあったでしょ。

いまでも純粋な日本家屋にはありますよね。


あれって、家の「内」と「外」をつなぐ「なか」なんですよね。


ご近所さんも縁側までは、気軽にやって来て腰をかけます。

でも、それより内側は、「うち」。

その家の人だけの領域。


障子やふすまという物理的にはソフトな境界線。

欧米の重厚なドアに比べるとね。


あくまで心理的な境界。

で、誰もがそれを感じられる社会だから。



最近、読んだ本にね。


日本人の身体

安田登著 ちくま新書



そのなかで、縁側について語られててね。

縁側が「うち」と「そと」を分ける境界としての役割について、



>あっちだって丸見えだし、物理的には境界はないに等しい。

>それは、人々がそこを境界だと「思った」ときにはじめて境界になるという、

>同意によって成立する境界なのです。


>相手の見られたくない部分、知られたくない部分を見ても、見なかったことにする。

>「見て見ぬふり」の文化なのです。


>それは、相手の見られたくない部分は、実は自分の一部でもあるということを知っているからです。

>相手が知られたくないことは、実は自分も持っていることでもある。


>境界に置かれる部分というのは、すべての人に共有のものです。


>日本の境界は、なくてある境界、あってない境界、「幻影的実在としての境界」なのです。



曖昧ですよね。

すべてにおいて境界が曖昧。


時間さえもですよ。

「いま」と「昔」も。


だから、「いまは昔」で始まるでしょ。

「いまとなっては昔の話」っていうのは、直訳ですよ。

「いま」と「昔」にも境界がないのです。

日本の昔話は。



もちろん、自分と自分以外も。

この「自分以外」とは、人だけでなく、動物、植物、物、自然。

すべてです。

境界が曖昧。



カープファンなんだけどね。

中日ファンの気持ちもよくわかる。

中日の応援席で一緒に大喜びすることもできる。


境界が曖昧な「なか」にいませんか?


これ、「全体」であり、「中心」でもある「土」だからこそ、できる芸当。



縁側のある家で育った私。

縁側が好きです。

アタマのOSに「曖昧」がインストールされています。


だから、冒頭のディベートもね。

同じく『日本人の身体』では、「和して同ぜず」という言葉を用いて、



>ディベート、これは「同」の議論です。

>ディベートの語源は「戦う」ということ。

>相手を打ち負かして、自分の意見を通そうという議論がディベートです。

>そして、その議論のあとはディベートで勝った側、

>すなわち意見が通った側に従うことになるわけで、

>これは「同」なのです。


>理想的な「和」の議論とは、「三人寄れば文殊の智慧」の議論です。

>議論に参加している人が、誰も考えてもいなかった結論が自然に導き出されていく、

>そういう議論が「和」の議論なのです。


>この「文殊の智慧」は、誰の中にもなかったものなのにもかかわらず、

>すべての人の中にもともとあったものでもあります。

>だから、そういう意見が出てきたときには、

>みんなが「おお、実はそれを言いたかったんだ」となったりします。



「和」ってね。

違っていいんです。


調和なんです。


違ったうえで。

違ったままで。



カープファンでいいんです。

中日ファンの応援席でも。

場として、調和しているんです。


我慢しているんじゃなくてね。

喜びをシェアしてる。



「和を以って貴しと為す」



合わせて、「同じ」にすることが「和」ではない。

違った者同士が違ったまま存在できる。

その曖昧な境界が「なか」。



スタバがヒットしたのも同じ。

会社でも家でもない「第3の場」。

「なか」だから。



「うち」と「そと」だけの世界。

メリハリついてますね。


けど、日本人には「なか」が必要。

曖昧さのなかにね。

美しさ、優しさ、誇りを見出せる民族なんだと思う。



お手軽に味わいたいあなた。

「なか」のモデルハウス。

綾華さんのブログは、こちら


読めば読むほどにね。

「なか」を味わえます。


これだけのクオリティーでね。

毎日、記事をアップできるってスゴい。


さすがカープ女子。

さすがフツーじゃないOL。

さすが「土」の金メダリスト。



まだまだ、「なか」を深めたい私。

今回、三顧の礼を尽くしてね。

コラボセミナーをお願いしました。


はい、「なか」のスペシャリスト綾華さんに。



「綾華さんの露払いを務めさせてください。」


「あら、そう。もちろん、前座よ。あなたは。」



踏んで。

踏んで。

もっと踏んで。


ドSであるということは、ドMでもあるってこと。

陰陽の法則にあります。



「それは光栄ですね。じゃあ、僕も。」


なんと沖縄の照喜名弘彦 先生も。



二人を前座に。

「なか」のスペシャリストが語られます。

日本人の「らしさ」を輝かせるために。



「和して同ぜず」


受け容れられる自分と受け容れられない自分。

受け容れられる自分に受け容れられない自分を「同」ずるのは、しんどい。


異なる両者がともに存在できる「和」する境界「なか」。


「なか」を味わえれば。

私も変われるかもしれません。


そこでは、自分を好きになる必要はありません。


自ずと好きに「なる」のです。



さあ、私とともに。

綾華さんから、「なか」を学びませんか?



< 「カラダとの対話」と「どぅる~んの意識」を取り入れた生活術セミナー in 名古屋 >



1.日時


平成27年5月23日(土)10:00~16:30 ※9:30開場



2.場所


ウインクあいち  1008会議室 ※名古屋駅より徒歩5分



3.定員


20名



4.参加費


12,000円



5.内容


・第1部 カラダとの対話 ~リトル○○となかよしになろう~


 講師 照喜名 弘彦 (元氣サポートルームkokokara代表)


・第2部 日本人は「土」の民族 ~「どぅる~ん」のエネルギーとは~


 講師 谷田 学 (谷田鍼灸院)


・第3部 丹田に氣を納めたら自分を信じることができた ~へたれあやかとリトルアヤカの469日~


 講師 吉川 綾華 (普通じゃないOL)


 ※吉川綾華さんのブログでの告知記事は、こちら



6.お申込方法


主催者:吉川綾華さんのこちら の申込フォームより



7.お問合わせ


吉川綾華さんの以下のアドレスまで


ayakahappysmile77@gmail.com



以上



八方美人?

優柔不断?

「場」の空気を読んで合わせてしまう?


神様からその才能を与えてもらったことに。

心から感謝できますよ。


日本の「なか」、名古屋でお待ちしています。




では、今宵はこのあたりで。