前回は 孔明先生が昭烈廟にいないわけ
をご紹介しました↑リンクしています。
そして今回からお伝えするのは
★なぜ武侯祀があるのか
★孔明先生を祀っているから
武侯祀なのですが
孔明先生は
「墓に供物は不要!」と
死してもなお定軍山の麓で
蜀を護り続けることを遺言。
↑定軍山の麓にある武侯墓↑今も健在♪
なので当然、劉禅さんを始めとする
蜀の忠臣は祠を
建てることはありませんでした。
でも、孔明先生の偉大さを
生活の一部のように実感していた
成都の領民たちは
せめてヽ(`Д´)ノ諸葛丞相の祠くらい建ててよ!
朝廷が武侯祀を建ててくれることを
願いましたが
蜀漢王朝の都である成都に
武侯祀を建てると
色々と大人の事情で大変なんです。
劉家を差し置いて、とか
蔑ろにしてとか
孔明先生の忠義に
反する情況になったら
それこそ孔明先生が浮かばれない。
ので、蜀漢王朝としては
武侯祀の建立許可を出しませんでした。
が!領民の心は収まりません。
そこで領民たちが取った行動とは

今回のポイント
蜀漢王朝は当初
武侯祀を建立する気は
ございませんでした。
にも関わらず
武侯祀が建てられた理由とは!?
次回へ続きまする→→→
*浪漫派三國志を提唱しているので
解釈は思いっきり熱く生きよう三國志です!
予めご理解下されm(_ _)m 玄子