おはようございます。
今日も眠れませんでした。
どうもシンガーソングライターを名乗っているのに3週間、ちゃんと曲を作れていない市川です。
毎日、新曲(メロ)を4〜5曲、
多い時で20曲以上おろしていたのですが
9月の中旬から今まで色んな心境の変化があり
なかなか曲を作ろうという気になれませんでした。(散歩しながらドラクエはめちゃくちゃしてました)
本当に、言えることも、言えないことも沢山あり過ぎて、自分の心が現実に追いつかないという経験を久しぶりにしました。
で、タイトルの通りcoco.izumi × GMEがすぐそこまでやって来ていますが、このGMEへの思いをちょこっとだけ話そうかなぁと思います。
僕が、このGMEをやろうと思ったキッカケは
数年前の祖母の死でした。
長生きすると思っていた祖母。
病気くらいでは負けないと思っていたし、昔から色んな伝説のある人なので(メモリードの営業の神と呼ばれていたらしいです)、余命宣告を受けてもきっと大丈夫だろうと当時10代の僕は信じ込んでいました。
最期は病院でした。
祖母の苦しそうな顔と、生きようとしていた鋭い目。
見ていられず、僕がトイレに行ってる間に息を引き取っていました。
最後の最後まで凄い人でした。
頭が真っ白になり、
やっとの思いで出てきた思考は、
「生前、祖母に僕は何か恩返しができただろうか?」でした。
そういえば、
中学生だか高校生の頃、学生証の写真を撮るために、わざわざスタジオに撮りに行ったことがあり、その学生証の写真を肌身離さず持ってくれていました。
しかし、僕は濃すぎる眉毛とブスな顔が本当に嫌で、皆んなに見せないでと言っても、「自慢の孫だから」「優希は優しい子だから」と皆んなに見せびらかしていて、何度も怒ったのを覚えてます。(全然優しくない)
そして、コピーバンドをやっていた時、一度だけライブハウスに観に来てくれたことがあって
「バンドがうるさくて優希の声が聴こえなかった」と言っていたのを思い出しました。
結局、俺の事が本当に大好きだったのに、俺の歌を一度もちゃんと聴かずに逝ってしまったという事実が残っていました。
その後、僕自身ちゃんと歌が歌えなくなり
5年ほど音楽を休み、
その間、ラジオ局で働いていましたが、
やっぱり音楽は続けないとなぁと思い、仕事を辞めて、もう一度歌い始めました。
大した才能もない僕が色んな会場で歌わせてもらえたのも、色んな思い出が背中を押してくれたからだと思います。
2017年1月。
音楽一本の生活を始め、2年が経つ頃。
とある大手イベント会社の方と知り合い、
新年会に誘われ行ってみると、
土屋太鳳ちゃんと大学が一緒だった子の話だったり
とあるミュージシャンのライブの裏話だったり
会社を立ち上げた頃の話だったり
一滴も呑んでいなかったのに、すごく鼓動が早くなっていたのを覚えています。
一通り話しが終わった後、
「松井田に若い子が集まるイベントは出来ないかなぁ?」という声が聞こえました。
それは僕の隣りに座っていた後に第一回目のGMEを開催することになる松井田文化会館の職員の方の声でした。
松井田。。。
祖母は若い頃、松井田町で育ったと聞いていて
その瞬間、時間が止まったように
色んな点が線で結ばれる映像が浮かんで来ました。
思い出すと、今でもゾクゾクします。
『僕、やりたいです。多分、できます。』
300人ぼっち。というホールワンマンライブを数ヶ月前に終えた僕は無双だったように思います。(実際は1部197人2部185人の述べ382人だったのですが何故かわかりませんが375人の動員と控えめに言ってます。本当は197人ですが)
そこから話はトントントンと進み
群馬愛のある群馬出身者(のいる)アーティストだけにオファーをかけました。
横山ナオちゃんとお話ししたのも、
それが初めてでした。まだ2年しか経ってないのね。
そしてすごく反省していることなのですが、
当時、巨峰3兄弟がどういう方なのかわからず、警戒していて、色んな方に「巨峰さんってどういう人達!??」とめちゃくちゃ探った記憶があります。笑
結果、すごくステキなお兄さん方でした。笑
ごめんなさい。笑
そんなこともあり、
当日は色んなトラブルがありましたが
大盛況のうち幕を閉じました。
ダンス、アカペラ、弾き語り、アコバンド。
バラエティに富んだ室内フェスは
会館の方にも大好評でした。
松井田には老若男女問わず、
沢山の方々に集まっていただきました。
お客さん以外に出演者や現場スタッフ
全て合わせれば300近い人数が、
祖母の育った松井田にやってきてくれたのだなぁととても感慨深かったです。
少しは恩返しができたかなぁ。
あれから2年が経ち、
今年は高崎coco.izumiで開催します。
初回は僕のエゴを存分に入れ込んだので
今回はエゴも入れつつ、僕の耳に届いた意見も参考に、県外のアーティストも沢山呼んだり、遠方のお客さんが少しでも帰りやすいように、高崎にしたり、少し配慮しました。
coco.izumiの駿くん推しの男性アーティストも県外から2組来てくれますので、お楽しみに!
そして、音楽をやってきてわかったことは
『僕は大きいイベントは向いていない』ということでした。大きいイベントをやれば自分が大きくなれるわけではないし、むしろ全てが中途半端になってしまう自分に嫌気がさします。
小規模なイベントにして
ちゃんと全員の顔が見えるようにしたい。
本当に大切な人だけを本当に幸せにしたい。
な〜。(願い)
あと、完全に余談ですが
10月12日。
結婚パーティーを開催しました。
3日前の10月9日。
予定していたカフェでの開催が不可能になり(現在もカフェは休業中)
未曾有の大豪雨(大災害)も直撃し、
ウェディングケーキは届けられない、
余興は誰も来られない、
詰んだと思いましたし、
色んな思いを考えると
詰むべきだったのかもしれません。
こんな時に? こんな時だから?
こんな時だけど?
非常識だよ?不謹慎だよ?
やるでしょ?行くよ?
すごく考えました。
延期も中止も、続行も、
何を選んでも辛かった。
しかし、
母が祖母の知り合いに連絡をすると
こんなギリギリのタイミングなのに
会場を抑えることができました。
亡くなって10年近く経つのに
まだ祖母に助けられてるようで
開催を決断しました。
当日は、お祝いなのに
母の「すみません」「ごめんなさい」
と全員に謝る姿が本当に辛かった。
人生に一回なのに、本当に申し訳なかった。
パーティーが始まってからは
祝辞やスピーチで高校の友人達がボケ倒してくれたおかげで、みんなかなりホッコリしてました。
ある奴は、「市川くんと僕の思い出は、、、そんなことより僕この間まで風邪引いてたんですよ」と結局、俺のエピソード0の話を何分もしたり。(途中で止めたけど、あと1時間喋りたかったらしい)
ある奴は、「市川くんとの思い出は、、、中学の頃、、、」と俺じゃない中学の友人のエピソードを語り、天気いじりや、愚痴を言ってくれたり。
余興も、無しの予定が
急遽、安中の歌姫2人と、uhhさんがコーラスで歌ってくれたりと
本当に、感感感謝でした。(前世みたいにいうな)
で、市川家族で失恋ソング「月夜」を歌ってパーティー終了。。。
みんなをお見送りするべく
会場を出て、少しすると
みんなスマホから避難勧告の警告音が爆音で流れ出しました。
あれは、すごいタイミングだったな。。。
式に一切の邪魔が入らなかったのは
奇跡に近いと思います。
そして、早い時間から
太田や安中、甘楽から来てくれた人、
川越から来てくれた人、長野から来てくれた人、
東京から来てくれた人、愛知から来てくれた人、
前乗りしてくれた人、
帰れる距離でも台風を考え
ホテルとってくれた人、
今日中止にしない?と3回も止めてくれた人、
移動手段がなくなり、
帰宅できるまで3日かかってしまった人。
本当にごめんなさい。
そして本当にありがとうございました。
来られなかった人も本当にごめんなさい。
ただ、来なかったこと、絶対に正しいです。
だから、謝らないでください。
今回は本当に究極の選択で
やるのもやらないのも不正解のようで
やるのもやらないのも正解のようで
心がずーっとザワザワしてました。
話、全然ちょこっとじゃなかったけど。笑
GMEは、絶対にやるべきだと思うので
是非来て頂きたいです!
12日、参加出来なかった方々も是非。
予約無しでも、当日入れます。
小学生以下無料です。
受付には、うちの妻がいますので
声かけてくださいね。
息子と娘もいます。
遊んでくれる方、募集中です。
お待ちしてます。
1:08から書き始めて
4時間もかかってしまった。(アメトーク観たから)

