こんにちは!
今日は啓蟄。
風の強い1日でしたが
もう、春なんだなあと感じました。
昨日、アドラーの読書会の予定でしたが
学校も休みになってしまっているので、
リアルに集まる読書会をお休みにして、
短めにちょっとオンラインの試みをしました。
LINEトークを初めてやってみましたが
お手軽に使いやすいですね。
スマホだとZoomはアプリをダウンロードしなくてはいけないので。
何かをいい・悪いに分けるのは
被害者や加害者の立ち位置だよね。
こういう時だから
「これからどうするか」
に意識を向けたい、相手への尊敬を忘れずに。
(アドラーでの尊敬とは、相手をありのままに見ること)
という話をしていました。
そしたら、思い出投稿で4年前のこの記事があがってきました。
自分で決める、自分の意見を持ち
でも、その自分を使って
他者にどのように貢献できるか?を
みんなで模索してきた4年だったなと思います。
アドラーは自己責任論
と勘違いされやすいけど
「自分で決められる」
ということと
「自分で最後まで責任取れ。あとは知らん。」
というのとは全く違うことです。
課題の分離は大事なので
人の課題に手を出さないようにすることは
気を付けなくてはいけません。
でも、それは放っておくことや、
突き放すこととは違う。
一緒に考えること。
指示や肩代わりはしないけど
どうしたらいいんだろうね、と
伴走すること、です。
自分の人生のハンドルは自分で握る。
ちょっと迷ってしまった時には
一緒に地図を広げてあーだこーだ言えたら
前に進む勇気が出るけど
誰かが運転を代わることはできない、
ってことですね。
同様に、何か事が起きた時に
すべてを自分のせい、と思う自責は必要ない。
他の人の人生は他の人がハンドルを握っているから
対話や交流をすることはできても
無理やりレールに乗せることはできないのだから。
共感コミュニケーションでも
「評価・判断は必要ない」
をベースにしていますが
アドラーも、勇気づけの態度で
自分にも他者にも接することができるか?
それだけの、シンプルなことなのです。
ここしばらくELM勇気づけ講座を
お休みしていましたが
2名様以上集まったら
3回連続(4回分×3)とか
4回連続(3回分×4)とかで
リクエスト開催いたします。
そして、共にアドラーを学び合うコミュニティのメンバーに
心から感謝しています。
このような事態になった時も、いろんな意見を
否定し合わずに話し合える、対等な関係。
肩書なくつながれる輪に、ありがとう。
今日もお読みくださいましてありがとうございました![]()
