大切なのはどれだけ与えるかではなく、与える時にどれだけの愛を込めるかです

マザー・テレサ




「与える時にどれだけの愛を込めるか」

この一言は色んなことが含まれている。色んなことをシンプルに表現している。

そのすごさに感動する。


「与えても与えても幸せじゃない、苦しんでる人」がいて、どうしてか?なんて人の話を理屈で長くブログで書いてたことがありました。

「愛を込めて与えてないから幸せじゃない」ってシンプルな言葉で表現できる。


ほかによくあるのは、「見返りを求めて与える」ということ。

これも、見返り求めてるってのは「愛が込められてない」と言える。

愛とは無償で与えるものだとしたら、見返り求めるのは愛がないということになる。


僕が色んな事例などを長ったらしく説明してきたものは、マザー・テレサのシンプルな言葉だけで表現できるというか、その言葉に全て含まれているみたいなね。

それで感動したり、すっきりした感があります。

大切なのはどれだけ与えるかではなく、与える時にどれだけの愛を込めるかです

マザー・テレサ




ごちゃごちゃ色んな言葉があるより、「どれだけの愛を込めるか」ってだけ意識すればいいので、自分の中でも扱いやすいものになる。


「どれだけの」っていうのはレベルを表してるんだろうなと思います。

幸せも感謝もレベルというものがあるんですよね。

「不幸、幸せ」、「感謝してる、してない」だけじゃない。


「私は○○に感謝してます。」

感謝してるからいいんだってことじゃなくて、どれだけ深く感謝してるか、感謝のレベルはもっともっと上げていけますよ、という話もあります。


そういうレベルという概念があって、僕はブログを書いてます。

だから、幸せな考え方の話を書いたとき、「私はその考え方なくても幸せです」って言ってくる人います。

不幸な人がこういう考え方するといいよって提案だけじゃなく、この考え方もあると、より幸せになれるかもしれないこともありえます。

レベルって概念がないと、そういう受け取り方はできなくなってしまう。

「私はいま幸せだから、他の幸せな考え方はいらない」という人もいますが、どんな幸せな人でも、もっと上の幸せがあります。

必死に上を目指さなくてはいけないわけじゃないですが、もっともっと幸せになってもいいんですよってことですね。


感謝もレベルがあります。

感謝というのは感情です。

例えば、悲しいという感情。ちょっと悲しいというのと、号泣するくらい悲しいのと、全然悲しみの深さ、レベルが違いますよね。

感謝もこれと同じようなことで、深さやレベルがあるということです。


「私は親に感謝してます」「だからこれでいいんだ、これで十分だ」

これで十分ということはないです。

もっともっと感謝できます、深く深く感謝することもできます。



最初の話に戻ると、「与える時にどれだけの愛を込めるか」

いま、愛を込めて与えてると思ってても、もっともっと愛を込めていくことはできるよね、もっとレベルアップしていくこともできるよね。

なんてことも思いました。

ありがとうございます。





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