前回の記事より、
自分が悪意を持って人に攻撃するようなことはしないで、自分の機嫌をとって幸せでいれば、嫌われないように考える必要はないです、僕は。



「自分が悪意なくても、嫌われることはあるんですよ。」

悪意がなくても、悪意があると受け取られて嫌う人はいるでしょう。

悪意があると受け取る人は、そういう人こそ悪意がある人なんです。

(※悪意の話は詳しくはまた書くかもしれません)(以前書いた記事を前に持ってくるかも)

悪意がある人には嫌われてもいいんじゃないんですか?


友達と話してて、失言してしまって傷つけてしまうこともあるでしょう。

全然失言じゃなくても、普通の言葉でも、え?この言葉が傷ついたの?ってことも人によってはありますよね。

悪気なく傷つけてしまう。これはどんな人でも防げないでしょう。

しかし、それは嫌う理由にはなりません。


実際そういう場面でどうなるか?以前書いたことあります。

僕が失言みたいなことがあって、こういう会話になりました。

「その言葉は好きじゃない」

「ごめん」

「許す」

これだけ。

そのまま話は戻って続いた。

逆でもそうなるでしょうね。

僕が友達の言葉にグサっときたとしても、それで「俺を傷つけたこいつ嫌いだ!」なんてならないならない。

悪意がなく言ったことだとわかってるから。

正確には、悪意があるだろうという受け取り方はしないから、嫌うことはないということですね。

信頼関係ある友達だったらそうでしょうってこともあるんですが、それだけに限らないです。

初対面でも同じこと。


わかりやすい話でいえば、ブログのコメント。これも何度か書いてます。

いきなりはじめてのコメントで攻撃的な人。

顔も知らないネット上の文字だけの初コンタクト、信頼関係なんてまったくないですよね。

それでも、僕は悪意があるという受け取り方はしません。だから嫌いません。


前提は、

「争いたい人はいない」ということ。

争いたくないのに、攻撃的になってるということは、そうせざるを得ない理由があるんです。

“その人なりの”正当な理由があるはずなんです。

それは悪意ではない。


「こんなコメントはケンカ売ってるでしょ!」ってこともあるかもしれませんが、それも理由があるはずなんです。

ケンカなんかしたくないんですよ。

「争いたい人はいない」って前提は崩さないで考える。

全てを知れば、全てを許すことになる。


攻撃的な人を擁護するとか正当化するわけではないです。

どんな人でも、優しい心で気遣ってわかってあげましょうなんてことでもないです。

相手を理解しようとするのは、相手のためじゃない、自分のためなんです。

幸福のロジック。








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