こんにちはパー

お目に留めて頂いた皆様、ありがとうござい
ますニコ

自己啓発、スピリチュアル一色だった一時、
私も色んな方のブログを毎日チェックした

春分を過ぎる辺りからは、あまりチェック
しなくなったし、今は少数精鋭が残った

どの方も我の圧が少く、フラットに訴えてく
るので、自責を感じさせず“あるある”感を引
き出す力がある

このお盆休み、断捨離も兼ねて携帯を使い
やすくしていた所、フォローしていた人へ
の批判的なコメントを目にした

何が起きているのかと久々に読み進めてみ
たら、途中からどんどん胸が悪くなったゲホゲホ

ここからは、弱腰で、批判されると青菜に
塩の如く、すぐヘタる私の見解ですが…

やっぱり、先頭切って、最前線に出る人は
違うなと思うのです…

批判も晒しも、勝手な正論も正義も
全てに打たれる、それでも良いと信じること
を続ける姿勢

覚悟なのか思い込みなのか
突き抜けてるのか壊れてるのか

良くも悪くも、ケタ違いだと思うのです

同じステージに立っていないのなら、批判的
なコメントは心の内だけでいいじゃないか…
と思うのです…

更なる被害者を生みださないための訴え
盲信的な状況への新たな視点投下

人に注意喚起を呼びかける奥底に、自己満足
が隠れていないか?

“その出来ごと”があったから知り得た体験か
ら、今どんな世界が見えるのか?

過去の被害を訴え続け人を救うことが、逆に
自分自身を過去に縛り付けていないか?

今身を置く場所が暖かい安心できる世界なら
どんな言葉が出てくるのか?

あの人達はおかしい、人でなしと論ずる前に
幸も不幸も自分の世界は完璧で幸せだと真実
から言えるか?

覚悟と開き直りを混同していないか?

直視したくない自分の真実から巧妙に目を
逸らす材料にし、自らを欺いていないか?

もちろん、通過点なのかもしれない
色んな段階を踏まないと辿り着けない視点が
ある
だからこそ、どうしても吐き出したい心情は
公開ではなくノートなどにひっそりと綴る

相手は、鏡

相手に投げかけた言動は、全て自分へのもの

それはないわ〜、と思うことから、「自分は
どんな価値観で生きているのか」が最後の一
滴まで探求できた時、鏡へのザワザワは綺麗
に拭きあげられ、そこには自分への静かな信
頼と全ての現象への感謝だけが映る

響いた人には必ず気づきがもたらされる

「愛」の元に届ける言葉が、“あなたは注意し
てね”なのか、“お陰で今こんなに幸せ”なのか

見ているのが外か内か

そこにその人の成長が透けて見えるのではな
いか…と自戒とともに思うのです

私も毎日、“分かって欲しい”欲求を満たすと
手放すの繰り返し
委ねるのは、ホント難しい…えーん

まぁ、私が悩んでも仕方ないし、出来るだけ
気をつけよっと口笛(なんのこっちゃ)