こんにちはウインク

さいたま市でレイキ教室を主催しております、

チカコです。

 

いつも当ブログをご覧いただきまして、

ありがとうございますドキドキ

 

今回はこちらのページで、

レイキの歴史について、

触れていきたいと思います。

 

しかしレイキの歴史って、

まとめて書いても、

長~くなってしまいがちなので。

 

このページだけでは書ききれないかもしれません滝汗

 

3回くらいに分けて書いていきます。

 

こちらのページは、

レイキにご興味のある方

もしくはこれからレイキの伝授を考えている方にも向けて、

書いています。

 

よろしかったらお付き合いくださいねラブラブ

 

前回の記事はコチラ

↓  ↓  ↓

【レイキ①】あなたの中に眠るもうひとつの世界☆レイキってそもそも何?

 

 

 

前回の記事では、

レイキ(靈氣)は日本生まれの、

民間療法ですということをお伝えしました。

 

 

本では「REIKI」「レイキ」と、

表記されることも多いこの療法。

 

実は出身は大正時代の日本なんです。

 

 

当時の大正時代は旧字ですから、

漢字は「霊気」ではなく、

 

「靈氣」

と表記されていました。

 

靈⇒巫女が差し出す器を表す。巫女が受け取る目に見えない霊妙なもの。

 

氣⇒大気と米を表す。目に見えないけれど、

   最終的には米という人間の物質的な糧となるエネルギーを指す。

 

 

そして、このレイキ(靈氣)ですが、

誰が最初に皆が使えるようにしたのか?

 

ここから一般的な、

レイキの歴史のお話しから始めてみようと思います。

 

一番最初の始まりは、

こちらの臼井甕男(うすいみかお)先生。

 

 

大正時代の話なので、

かなり神秘的に語られることも多い臼井甕男氏。

 

言い伝えによると。

 

 

新聞記者や実業家、政治家の秘書など、

様々な職業を転々としながらも。

 

「人間の人生の目的とは何だろう?」

 

ということを考え始めます。

 

そして最終的には、

 

「それは安心立命にある。」

 

という答えに行きつきます。

 

 

安心立命とは、

 

「その身を天命に任せ、

どんなことにも動じないこと。」

 

という意味。

 

 

そしてその境地と悟りを求めて、

今度は京都の鞍馬寺で修行を開始します。

 

 

 

しかし、修行をしたはいいけれど、

3年経ってもその境地は得られず、

臼井氏は信頼をよせる師匠に相談します。

 

「3年修行しましたが、未だに悟りを得られません。

私は今後どのように修行すればよいのですか?」

 

その答えは。

 

「それなら、一度死んでごらん。」

 

でした。

 

教えを請う師匠から出たその言葉に。

 

「もはやこれまで・・・」

 

そう思った臼井氏は、

鞍馬山の森に入り、

死ぬ覚悟で断食修行に入りました。

 

 

その断食修行から21日目。

 

座禅をしていると、

急に体を雷のような靈氣エネルギーが身体を貫き、

気を失っていたそうです。

 

そして、目が覚めた時。

 

その気分は爽快で、

活力に満ち溢れていたのでした。

 

そしてその一連の体験は臼井氏に、

宇宙(神)との一体感を感じさせるほど、

強烈なものだったと言われます。

 

修行の終わりを悟った臼井氏は、

下山を決めます。

 

そこから山を下りようと、

山を下っていくと。

 

途中で足の爪が引っかかり、

爪を剥がしていましました。

 

思わず「痛い!えーん」と手を当てたところ。

 

痛みが治まり、

不思議に思って指を見てみると、

 

「あれ?治ってる!びっくり

 

その時に初めて、

癒しのエネルギー、

「靈氣」を体得したことに気付いたのでした。

 

大正11年3月のことでした。

 

 

 

山を降りた後。

 

臼井氏は、

その靈氣を使い、

沢山の人を治療することとなりました。

 

しかしここで、予想外のことが発生。

 

治療して完治したはずの人が、

また病気になって戻ってくるではないですか。

 

 

「これはもしや、

病気の病原そのものではなく、

患者の深い心の問題が原因ではなかろうか?」

 

それからは、

患者の心の病の治療の研究、

 

そしてこの靈氣そのものを、

他の人が使えるようになる研究を続けていきます。

 

 

その後は東京(現在の原宿近辺)にて、

 

「臼井靈氣療法学会」

 

を設立。

 

この学会からは臼井氏が、

政治家・後藤新平の秘書だったこともあり、

一部の政治家や軍人にも靈氣が伝えられていきました。

 

さらに臼井氏は晩年まで、

靈氣を伝授できる有資格者である、

「師範」を21人育て上げます。

 

その中のひとりに、

海軍大佐「林忠次郎」という人物がいました。

 

 

 

 

この林氏が後に靈氣の普及に努め、

各地に靈氣を施術できる人々を増やしていきます。

 

当時の日本は、

医療保険などのシステムも、

あまり普及していませんでした。

(あったけど普及途上)

 

病院も開業医が主流で、

医療費は医師が自由に決められました。

 

よって、貧しい人からは少なくもらい、

富裕層からは多くいただくという、

そんなパターンだったようです。

 

貧しい人はお医者様に診てもらうことはできたけど、

薬をもらって改善しないようだったら、

寿命とあきらめる。

 

また、手術などのおおがかりな治療は、

かなり高額となるケースがほとんど。

 

 

そんな時代背景もあり、

靈氣というのはかなり重宝されていたようです。

 

 

 

とはいえ、

当時の伝授の金額もかなり高額。

 

公務員の初任給の3ヶ月分だったようですから、

なかなかの金額ですよねあせる

 

ということで、

当時は靈氣伝授が受けられたのは、

富裕層の人や良家の紳士淑女の人達

 

伝授を受ける女性達は、

嫁入り道具として受けるケースも多く、

靈氣を「お靈氣」と言って、

家庭内で実践していきました。

 

そんな彼等は病気の人達の家に向かい、

無償もしくは少額の金額で、

靈氣の施術もしていたそうです。

 

当時の写真を見ると、

服装も着物の人も見られますが、

ビシッとしたスーツを着てたりと、

ハイカラな服装の人もいますよね。

 

そんな当時の写真がコチラ↑
基本は正座だったんだよ!
(※復刻版「靈氣と仁術・富田流手当て療法」より)

 

 

こんな形で、

当時は富裕層を中心に広がっていったレイキ(靈氣)。

 

この後、国内だけではなく、

海外にも広まっていくことになります。

 

今回はここまで☆

長くなってしまうので、次回へ続きます。

 

【レイキ③】レイキは海を越えて☆歴史からレイキをひも解く

 

最後までお読みいただきまして、

ありがとうございます虹

 
 
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