どちらかが良い、悪い、という状態を脱け出して、この両極を味わえる心境になったときに
自由になれるのかもしれません。
すぐに乾く、私の心。
ならば、乾いている心を、充分に愛でよう。
両極があるのが人生なのだから。
再投稿します❤️
私の心はすぐにかわく。
心が乾いて、潤いがなくなりカサカサになると、劣等感が押しよせる。
先日の大雨で、大好きな人と逢う予定がキャンセルになった。
少しがっかり・・・気分の時に、飼い猫のたまちゃんを外にだしたら、
外ネコとケンカをして、足をひきずり血を流して帰ってきた!!
大雨の中、たまちゃんを病院に連れていったら…臨時休業。
おまけに、その時、愛車がエンコした!!
やっと家に帰ってヘトヘト・・・なのに、家族の食事の用意。
今度は息子が、“おれのソーセージが、父ちゃんより1本少ない!”
と、小学生なみの文句に(本当は18歳!)
ついにぶちぎれた私
主婦なら、これらの一連の流れを軽くクリアして当たり前?
なのかしら!?
主婦って、本当に毎日がハプニングです。
自分のこと以上に、家族の関係や家事がスムーズにいかないと
まるで追いつめられているように感じることもある。
「私さえがんばれば大丈夫」と、追い立てるほどに
内なる愛が乾いていく。
でも、そのことに気が付けなくて、
はっと我にかえると、“可愛くない私”になっているの。
行動で、満たしても満たしても・・すぐに乾いていく私の心。
それは、きっと。
外の誰かが、外の何かが、原因じゃない。
ハプニングが原因ですぐに傷つく心は、
きっとわたしのなかの愛の源泉を忘れているから。
汲んでも、汲んでも溢れ出す【心の深みの源泉】から遠ざかり、
忘れているだけ。
女性は、気持ちが良くなると、体内から“潤い”を自ら創りだす。
反対に“乾く”と、摩擦によって、他とのふれあいに痛みが生じる生理的構造になっている。
だったら私は、
何度でも何度でも、自分を潤わせて。
もっともっと、気持ちが良くなることに貪欲になろう。
自分の中の愛との調和の欠如を
埋められるほどに、私を愛せるのは私しかいない。
本当の自分と1つになる方法は、私にしかわからない。
わたしたち1人1人の存在そのものが
自ら潤い、甘く熟したならば、
その愛は自然と溢れ出し、外に向かって放射されるのだから。



私の心はすぐにかわく。
心が乾いて、潤いがなくなりカサカサになると、劣等感が押しよせる。
先日の大雨で、大好きな人と逢う予定がキャンセルになった。
少しがっかり・・・気分の時に、飼い猫のたまちゃんを外にだしたら、
外ネコとケンカをして、足をひきずり血を流して帰ってきた!!
大雨の中、たまちゃんを病院に連れていったら…臨時休業。
おまけに、その時、愛車がエンコした!!
やっと家に帰ってヘトヘト・・・なのに、家族の食事の用意。
今度は息子が、“おれのソーセージが、父ちゃんより1本少ない!”
と、小学生なみの文句に(本当は18歳!)
ついにぶちぎれた私

主婦なら、これらの一連の流れを軽くクリアして当たり前?
なのかしら!?
主婦って、本当に毎日がハプニングです。
自分のこと以上に、家族の関係や家事がスムーズにいかないと
まるで追いつめられているように感じることもある。
「私さえがんばれば大丈夫」と、追い立てるほどに
内なる愛が乾いていく。
でも、そのことに気が付けなくて、
はっと我にかえると、“可愛くない私”になっているの。
行動で、満たしても満たしても・・すぐに乾いていく私の心。
それは、きっと。
外の誰かが、外の何かが、原因じゃない。
ハプニングが原因ですぐに傷つく心は、
きっとわたしのなかの愛の源泉を忘れているから。
汲んでも、汲んでも溢れ出す【心の深みの源泉】から遠ざかり、
忘れているだけ。
女性は、気持ちが良くなると、体内から“潤い”を自ら創りだす。
反対に“乾く”と、摩擦によって、他とのふれあいに痛みが生じる生理的構造になっている。
だったら私は、
何度でも何度でも、自分を潤わせて。
もっともっと、気持ちが良くなることに貪欲になろう。
自分の中の愛との調和の欠如を
埋められるほどに、私を愛せるのは私しかいない。
本当の自分と1つになる方法は、私にしかわからない。
わたしたち1人1人の存在そのものが
自ら潤い、甘く熟したならば、
その愛は自然と溢れ出し、外に向かって放射されるのだから。



