5/24-25に関西方面に
お出掛けしたレポートです
よろしくお付き合いください
全部で14回の予定です
一階の普段はカギのかかった空間
3つの階段が並んでいます
そこから上をのぞくと
床板が外れた状態で
二階が見えます
とても埃っぽい印象でした
二階から見るとこんな感じです
これが遊郭の娼妓たちの
性病の検査をした施設なのだそう
階段のところで医師が待機して
娼妓がそこを歩き診察をします
多くの人は「へーっ」という
珍しいものを見られた、
そんな感じのニュアンスでした
でももう少し深く考えてみました
当時の主流な性病は4種で
梅毒、淋病がメインで、あとは
軟性下疳と鼠径リンパ肉芽腫
どれも下半身を診るとわかります
大正13年には
「花柳病予防法」が出来て
定期的な検査が義務付けられました
私の知識にある一例では
大きな遊郭内には病院があり、
そこから先生が定期的に各「妓楼」を回り
診察するのがよくある感じで
背もたれのないベンチのような
長いイスに4~5人が座り
先生に診てもらう順番を待っていました
この時代には現代と同じ
産婦人科の健診のイスはありましたが
複数人を診ると時間がかかりますし
並んで座らせ先生が屈めば済みました
ですが、飛田では娼妓の数が多く
集団でまとめて診るので
このような施設を考えたのでしょう
ここではそんなに数が多かったのか?
階段が3つも用意されています
これは、
同時に3人の医師が診察できるということ…
説明では「下から」とありますが
電気で照らしても歩いただけで
どこまできちんと診られたのでしょう?
なんとなく和式トイレのように
あるいは四股を踏むように腰を低くして
「しゃがむ必要があったのではないか?」
と感じずにはいられません
また、娼妓たちはお揃いの着物を着て
検査に出かけたと言います
きちんと対面せずに同じ着物の者が
流れ作業のように検査を受けて
医師たちが誤魔化されることはなかったのか?
そのあたりが気になります
検査で引っかかってしまうと
少なくとも2週間は治療に専念することになり
お仕事をすることはできません
現代薬の抗菌薬が無い時代、
性病を治すのは困難でしたし
検査に引っかかってしまうこと自体も
娼妓たちにとってもお店にとっても
痛手だったと思います
あえてこれ以上は語りません
が…
ただこの階段の検査システムは
他では知りません
『医者の先生が下になって診る』というのは
当時の感覚からしても
かなり風変りだったのではないかと
そう考察するのです
3回の部分は講堂になっていました
写真の展示が要所に飾られていて
著作権の関係もあり全体の写真はナシです
でも古いイスもそのまま
窓から通天閣が見えました
写真下の↑白い部分はアーケードです
飛田会館を挟んで反対側は
今もグレーゾーンの色町が残っています
ビックリするほど商店街のすぐ近くで
道一本違うと…ただならぬ雰囲気です
(通り自体が撮影禁止なので写真はありません)
帰りに見た看板
そして
派手な絵だなーと思ったら…
警察署だったんですね
西成城と言われているらしい…?
西成-飛田会館のレポートは以上、
もと来た駅に戻り、宿に向かいます。
続きます

当時の性病については…好評です

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