いろいろなモノを整理をしていると懐かしい写真などが出てきます。

 

CDの写真は娘が高校時代に所属していた吹奏楽のパフォーマンスの様子の写真でした。6~7年くらい前かな?

 

ただ、娘にとってはこれは黒歴史だったようで、高校時代の話題は公に一切していませんえー(部活動はしていないことになっている・・・)

 
評判のよい学校で勉強もよく見てくれて、スクールバスも自宅近くから出るなんていう親もありがたい学校でした。
 
が、現実は部活動の時間が長く、場所も微妙な場所だったため、親が毎日送迎するという幼稚園児みたいな生活が2年少し続きました(途中で部活も引退したので、帰りは路線バスになりましたあせるスクールバスはイヤな子と一緒になるのでイヤだとえー
 
部活が終わるのも遅かったので、待っている車の中からは夜景がキレイだったので(その記憶しかないあせる)まあいいかなと。
最後の方は部活のお母さんたちとうちとけて、世間話をしていたりしましたが、受験などあってなんとなく疎遠に(←この話題はのちほど)と楽しいこと悲しいことが思い出されましたショボーン(高校生になったら子供から離れる時期なのに、まだ子育てに入っていたのもよくなかったですねあせる
 
吹奏楽部の経験をお持ちの方はわかるかと思いますが、ともかく休みがない。運動部のようなレベルショボーン
 
ただ、部活は華やかだったので、この学校にあこがれて学校を選んだり部活に入る子もいたようですが、夏に定期演奏会に出て辞めてしまう子が続出でした。
 
娘は3年間続けられたのですが、最後のコンクールには出られませんでした。
受験という理由もありましたが、身体を壊したり(精神的に病んだ?)ここまで続けたのに、なんでこんな終わり方になるのかしら?とがっかりした記憶があります。
 
コンクールには出なかったので、大学の夏期講習に出れた為(大学側に問い合わせてギリギリ間に合ったキョロキョロ)とんとん拍子に大学も決まってしまったので(オーボエパートが不足していたため探していた模様・・・一芸をもっていると強いなあせる)これから受験を迎える子たちには面白くなかったと思います。
 
付属の大学もあったのですが、理系の大学だったため、文系だった娘には関係なく(友達も文系なので関係ない)
 
高校側も大学の推薦はいくつか持っていたのですが(国立ですら推薦で入れたりする時代!)勉強優先と部活動優先枠があり、全員の子がもらえるわけでもなく、受験が終わるまでギスギスしてしまっていたような記憶があります。
 
そんなんで娘は大学も自分でAO入試で通ったためあまり恩恵も受けず、部活が忙しかったためオープンキャンパスもいけず、なんだったんだろうなと思いますが。
 
当時の受験に受かった時のことを書いていました。(お粗末な文章ですあせる
早く決まった記憶はありましたが、10月には決まっていたとはキョロキョロ
 
東京の音大も考えてレッスンもさせていたのですが、身体を壊したり金銭的な問題もあり・・・(地元の大学だったので仕送りなどはなかったのは幸いでしたが、楽器も買い直したり、コンクールや海外留学などをさせたのでなんだかんだお金もかかりましたびっくり)大学時代はお友達にも恵まれ結果的には良かったなあと思います。
 
実は大学の付属高校の音楽科には落ちているので、なんか不思議な感じがしました。(落ちたので、卒業した学校に行ったのですあせる)続けているとどこかが拾ってくれるものですね。
 
でも、高校時代の吹奏楽でのノウハウが、その後の娘のパフォーマンス(やっていることがほぼ同じ)につながっているのではないかと思いますけど、黒歴史なので部活をやっていたとは言いませんし、卒業してから一度も学校にも行っていません。
 
卒業式の時に誰からも送られず、さっさと部屋から出て行った娘の姿を思い出すと二度と行く気にもならないのもわかりますがショボーン
 
この時に感じたのは、好きでないことは一切やらないんだな・・・ということえー
 
学校を辞めなかったのも良かったのか悪かったのか?ですが。(母は送迎も一切辞めて、学校辞めたかったら辞めさせなさいと厳しく突き放していましたが・・・母と娘の関係がよくないのはこの時代あたりからです・・・苦笑)
 
学校側もオープンキャンパスも行かせないなどよくわからないルールがあるのも?でしたが、音楽では食べて行けないから堅気な学校に行って働きなさいということなんだろうなと。
でも、娘が卒業してから2年もたたないうちのこのわけのわからないルールはなくなり、休みも増えて(娘の時代はテスト1週間前以外は休み無し)出来てオープンキャンパスもOKとなったという。なんだったんでしょ、あの時代はと思うのですけどびっくり
 
当時の顧問の先生も辞められたのもあって、コンクール上位に入っていたのがそうでもなく大変な感じになっているようなので、娘が今なら一番指導出来るのでは?と感じているので、行ってあげればいいのにと思うのですが・・・。
 
他の子が音楽を続けないということもあったのか?コンクールには優先的に出させてもらったり(この時代に取った賞も一切他では話さない)していたのになあ。
 
その時に伴奏をしてくれていた子だけは、ずっとつきあいがあります。どんなことがあっても娘を励ましてくれて助けてくれた有り難い子ニコニコ
彼女はその後、看護師さんになりました。適材適所とはまさにこのこと。
 
今でもですが、娘はほんとに人に助けられているんだなと感じました。
 
いつか娘がもっともっと大人になって、学校側もウエルカムをしてくれて、母校でも演奏や指導ができることを願っていますが、どうなのかなと写真を見て感じました。
 
私はここまでぶつかったことがないので、どうしてこうなるのかしら?と、残念な気持ちになりましたが、ダンナが高3の夏休みに先生とケンカをして部長だったのに部活を辞めたという伝説を持っていたということをあとで知りました(苦笑)
 
遺伝でしたねあせる
この年になると黒歴史ではなく、武勇伝として笑い話になっていますが・・・ガーン
 
 

焼肉屋さん、絶対に頼むものは?

なぜかつくね・・・。娘は焼き肉ばかり食べているので、口内炎が出来まくっているようです。野菜を食べないと・・・いい加減過保護な気持ちをスルーするようにしないと。

ブログスタンプの絵が動くのを今更気がつきました。

 

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