毎日暑いですね。

夜寝られなくて、朝やっと少し寝ようと思うと出勤時間になってしまってちょっと辛い私ですえー

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先日、娘のイベントライブにて差し入れにいただいたお菓子。

あら~何の本かしらびっくり?と思ったら・・・。
中身はなんとバームクーヘンでしたニコニコ

美味しい、オシャレ~。ありがたい感じ。
入れ物は何か入れて使えそうです!
ありがとうございました。

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お店は駿東郡長泉町にあるハピネスさん!
懐かしいお味と思ったら昔のケルン洋菓子さんなんですね。
静岡県東部ではケルンさんは有名なお菓子屋さんです。

さて、前回のブログの話の続きです。
世の中のお子様は夏休みですね。
仕事を持った若いお母さんたちは大変だろうなと。
私もワーキングマザーだったため、夏になると仕事との両立で大変だった子育てを思い出します。
 
出産を機に仕事を辞めることが多かった時代、仕事に復帰をしたいと思って探しても、小さな子がいると預け先があるかどうか確認されたり、はなから履歴書すら見てもらえなかったりえーんなかなか決まりませんでした。

やっと仕事をもらえたのが派遣会社からでした。
派遣の仕事はイヤという方もいますが、派遣会社が今ほど有名でない平成元年からお世話になっていました。
一時的に人が必要と言うことで間口が広いということもあったので、使ってもらえやすかったのでしょうか?
突然ヒマになって切られるということをのぞけば、いろいろな企業さんで働けたり、いろいろな出会いが会ったのは貴重な経験でした。

無事仕事が見つかっても、子供の預け先に困ったということも。
いまだに待機児童が~などという話を聞くと何十年たっても解決されないんだなと憤りすら感じてしまいますね。

思い出話が長くなってすみません。
うろ覚えになってしまうので、ここで少し書いておこうかなと。
長文、重い話もあって申し訳ないのです。

息子は自宅近くの普通の幼稚園に預けました。
ここは14時までのお迎えで、働く場所がなく困りました。
保育園に転入も考えましたが、働いていないと預けられないため断念。
途中で引っ越したこともあり(車で5分の所)新しい家から近くの延長保育のある幼稚園に娘を入れましたが、息子は転園させなかったため、1年間ダブってしまい送迎が大変でしたが、子供たちの合う場所の園だったため良かったかなと。

私が幼稚園卒園まであと2ヶ月で転園させられた経験があって、馴染めないまま終わったということもありますね(母はあまり子供のことを考えてなかったなあ~あせる

娘が幼稚園に入る前までは平日に働くことを断念して、土日に派遣会社を通じてデモンストレーションの販売の仕事をメインにしていました。(あいている時間は、在宅で内職やパソコン打ち込みなどもしていました)
夏場はドリンク剤などの仕事が多かったなあ、季節にあう売り物が多いですね。
で、月4~5日働くとパートで働くよりよい金額になったので、昼間チョコチョコ働くより効率は良かったのです。
事務仕事しか経験がなかったのですが、働く気になればなんでもできるものだなと。

幼稚園の時間事情もありましたが、長男が喘息持ち軽い知的障害やADHDがあったことが判明したことで、昼間に働けなくなったということもあります。

子供を授かってもハンディを持って産まれるなんてことはあまり考えていなかったのです。(誰でもそうでしょうが・・・軽々子供がいない人にお子さんは?とも言えなくなりました)

色々な意味で子育てをしたことで成長させてもらったという感じですね。

その後、娘が延長保育の幼稚園に入った段階で昼間の仕事に戻したかったのですが、小学生になった息子の夏休みがネックになりました。
地元に学童保育がなかったため悩みましたが、市の方に問い合わせて夏休みだけ学童保育がある隣町まで預けることにしましたが、ADHDのおかげで別の地域のお子さんとのトラブルがあったりで、派遣の契約を夏前に終わりにさせてもらい、夏休みが終わるまで仕事をセーブすることにしました。

娘が小学生になったときには地元の学童保育もでき、息子も落ち着いてきたので、学童保育にお世話になってしばらく昼間に働くことができましたが、派遣社員は3年ほどで契約が切られてしまうことも多く(3年契約が基本)仕事が続きませんでしたが、夏休みに入るタイミングで終わらせて、子供と夏休みを過ごせたことも2回ほどありました。

突然切られたり使い捨てのような派遣生活でもありましたが(派遣あるあるでしょうか?えーん)子供と過ごすのには良いタイミングの働き方も出来たなと振り返ると感じます。

息子の幼稚園時代は他のお子さんとのトラブルが絶えなかったのですが、ADHDということがわかり(心理テスト、脳の検査も受けました)その対応方法もわかるようになり、育てやすくなってきましたが、ADHDは20年以上前の日本ではそれほど認知がされていず、問題も山積み。

色々な意味でボーダーラインギリギリだったため、普通学級に通えるかの瀬戸際になったこともありましたが、理解のある先生たちがいてくれたからこそ息子は成長出来てこれたのだなと感謝しています。

当時よくケンカしていた子と最初は険悪な仲だったのですが、その子もADHDだったとわかり、お母さんとも誤解がとけて仲良くなり、いまだに年賀状のやりとりをしています。
子供たちが成人して無事社会人になったというやりとりの年賀状を見て、お互いホッとしたものです。

子育ての苦労というのは、万人共通事項になのですね。
お母さんとの仲がこじれたのも、他のママともさんからの嫌われているという噂話からでした。本当はそのお母さんはうちの息子のことをとても心配してくれていたということ知り、他人の噂話にのらないということをモットーにしようということも学びました。

もともと話すのがニガテでしたが、もっと余計な話もしなくなりました(変わりに書いてしまいますが・・・苦笑)

多動と共に息子は小学校1年生までは喘息がひどく病院に通いばかりでしたが(夜中は点滴しにいったり)先生が良い薬を出してくれたおかげで良くなって行きました。

剣道を習いだし身体が強くなったのも良かったのでしょう。自信にもつながったようで、小学2年生から続けている剣道は一度も辞めたいと思わないようで、20年近く続けているのも驚きます。

息子の子育ての大変だった時期は、幼稚園から小学校低学年で終わりました。
思春期からは驚くほど落ち着いてきました。
小さい頃手がかかり過ぎて、思いっきり子育てに向き合えたからなのか?わかりませんが・・・。

その後は小さい頃手がかからなかった娘の思春期突入時期には、大変な日々がまっていましたあせる

長くなるので、子育て後半期の中学から大学までの話題は次回へ。

 

今日はゆーれいの日とか。

おいおい・・・そんな日はあるの?

 

幽霊、見たことある?

見たことはないですが、夢の中にたびたび父が出てきていろいろ話していきます。

すでに怖いと思わないのが、自分もだんだんそっちに近づいているのでしょうか(汗)?

 

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