その昔「冬のソナタ」が流行った時に見たことはあったのですが、ちゃんと(?)韓国ドラマにハマったのはコロナ禍が始まった頃で多くの韓ドラ沼民がそうであったように「愛の不時着」がきっかけでした。



ロマンスとコメディのバランスが絶妙で、作り込まれた世界観や巧妙に張り巡らされた伏線、スリルとサスペンス、独特のオーバーアクション気味の感情表現、こんなやつおらんやろと言うくらい過剰にカッコよかったり悪かったりする登場人物たち、心とろけるようなOSTなどなどが相まって圧倒的な臨場感に没入できる作品となっております。


その後も韓ドラを次々と見続け、今でも常時2〜3本は見ている状況です。


こんなにたくさん見ていると自分やクライアントの現実生活の中にドラマで見たような設定やシーンが見つかるようになり、まるで現実生活がドラマを模倣しているみたいに思うことが起きるようになりました。


アリストテレスは「芸術は自然を模倣する」と述べており、ドラマは現実生活に着想を得て作られているというのはその通りだと思うのですが、オスカーワイルドは「自然は芸術を模倣する」と言ってまして、ドラマに出てきた店でデートするとか登場人物と同じ服を着るとかも、ドラマのロケ地巡りなどもドラマの世界の臨場感の追体験に他ならないわけです。


作り手が現実の社会をみて着想を得る場合もありますが、現実にはありえなそうな奇想天外な設定でも圧倒的支持や共感を得ることもあり、現実と虚構の相互作用というか相互浸透のような現象があるようです。


「ウェルテル効果」などもそのひとつだとは思いますが、これは作者ゲーテが自分の失恋体験を小説化したもので臨場感が半端なかったせいかモデルのゲーテ本人は生きているのに作品世界の主人公を模倣して自殺する人が続出したというまさに自然が芸術を模倣した一例と言えるでしょう。


驚異的な視聴率と賞を総なめしたことで金字塔を打ち立てた「ペントハウス」なんかは奇想天外ドラマの代表作なんですが、



その他にも自分の持っていた「ドラマ」という概念を覆す作品が数多くあり、通常の生活を送っていたらありえないようなシチュエーションに置かれた人間たちのありとあらゆる情動特にネガティブな情動の臨場感を得られたのが大きな収穫でした。


ネガティブな情動、特に悪意については別ブログでもひとしきり書いたことがあるのですが、


https://ameblo.mom/technemakra/entry-12833496367.html


https://ameblo.mom/technemakra/entry-12835712008.html


https://ameblo.mom/technemakra/entry-12838889024.html


https://ameblo.mom/technemakra/entry-12839260104.html


メンタルヘルスの仕事をしていると、ネガティブな情動への対応がその多くの部分を占めるのですが、韓ドラのおかけで多くの情動について学ぶことができ、これはあのドラマで見たあのエピソードに似ている、というようにサンプルを抽出して参照し、さらに、当事者さんにもこんな話がありましてねと例え話として提示することでRを揺らがすことができるという実利があります。


情動を「学ぶ」と書きましたが、情動という現象が生得的なものなのか後天的なものなのかは古くから議論があり、「悲しいから泣くのか泣くから悲しいのか」という二項対立がよく知られておりまして、従来は「悲しいから泣く」というように情動が感じられてから身体反応が現れると言われていたのが、その後情動を特定のシチュエーションにおける身体反応の主観的な体験と定義するジェームズランゲ説が優勢となっておりました。


さらにポール・エクマンによって、特定の表情によって表出される基本的情動はあらゆる文化に普遍的に認められるという研究成果を世に問うて以来、体が先で心が後、というテーゼも浸透してきて、FBIでもそれを使って捜査をしているらしいという話にもなっております。



ところが最近それらの所説に真っ向から挑戦する学説が現れました。



この構成主義的情動理論によると、情動は言語を通じて「情動概念」を学習して初めてそれと認識されるものだということになり情動のメカニズムも「「人が泣くときは「悲しい」」ということを知っていて泣くから悲しい」という複雑な様相を呈しています。


上にリンクした本には、ジェームズ=ランゲ説やエクマンの所説に対する反例かこれでもかというほど紹介されていてその執念に感銘を受けました。


構成主義的情動理論の真偽のほどは置いておいて(情報空間の概念を導入すればジェームズ=ランゲ説と架橋できる気もしますが)、韓ドラで多くの情動概念を学べたおかげで、さまざまな一人一宇宙の臨場感を捉えやすくなったとは言えるとおもいます。