冬至が終わって、
太陽が復活したような、
そんな感覚がしますね!


当時の日までのラストスパートは
もう陰が極まる寸前の
最後の力を振り絞ったかのような光が
一瞬の閃光を放っていたような感じでしたが


陰が極まって陽に転じた喜びや
あふれる希望に満ちている。

そんな感じを受けました。



冬至少し前の都内の神社にて。


鳩森八幡神社


代々木八幡の御稲荷さん前




こういうことも、

事実としては、

根拠のない

ことなのかもしれません。



なんでそんな感覚わかるのー?

気のせいじゃない?

迷信でしょう?



そうですね、かくしょうはないとおもいます。



ただ、


私たちは、


確証や答えがあること、
通説だけを信じて、
目に見えていると思っていることだけを信じて、


生きている気がします。



目に見えることしか、
世の中に存在しませんか?


もっというと
見えているものって、
世の中の真理の全体ですか?



さあ、、、
こっちの方だって、
答えがないですよね。


ということは、


見えている、
知っている、
わかっている、
意識している、


と思っていることすら、、、、



疑え!


ってことやもしれません。




今年の手帳は2冊なんですが
一冊は日記・振り返り用に藤本さきこさんのもの。
こういった企画者の手帳はこれまで使いこなせなかったのですが
毎日、自分の思考の枠を「疑う」質問が満載で
書くたび自由になるような感覚です。



わたしはこういった類の話を聞くと
これまでは、

・わたしはそういうのはわからない
・一部の悩みが深くない人ができる考え

って思ってました。


理解したいんだけど
言っていることが頭を通過するような

信じて、もし、
違っていたり、ショックな事があったらとか


根拠とされることがあることで
「これなら失敗しない」
「これならああいうふうになれるだろう」

っていう予想ができるものや
考えをチョイスしていたのだと思います。



でも、、、

それってよくかんがえると、


今の自分の延長の未来しかない。
今の自分がちぐはぐになってるなら、

それを疑え!


ってことに、
もう行き詰まりもいいところまで行って
やっと認める気持ちになりました。



一回、行き着くところまで行ったほうがいい
のかもしれません。


太陽と同じですね。


陰が極まるところまで行って
消えゆく寸前の光の中で、
自分を取り戻す


そんな体験をしました。



陰の部分、
自分がどうなってしまうかわからないという感覚や
失敗したくない、ショックを受けたくない、

その思考を一旦置いておいて、



目に見えないものや
根拠のないもの、


自分の、ひらめきや思いを
一個ずつ、すくい上げて、
感じてみて採用する。



「わからない」


と思ってしまっていたり
他のことに目移りしたり
答えらしきものを言ってくれる人を転々とするのは


実は、


「わかる、わかってる」
と勘違いしているものだけを採用して
本当の自分を綴じ込みめているから、


孤独に放り込まれたかのような
信じたくても自分から糸を切ってるような
そんな感覚なのかもしれません。



私はそうでした。








嘘でもいいから。


目に見えなかったり
自分がひらめくのに止めてきた思い、
後回しにしてきた思い、


これを優先する「行動」をしてみてほしい。
行動は小さいものがいいです。


小さな自分が囁くような
そんなレベルの思いを、
今、実行に移す。



枠を外して、自分との繋がりを
ふたたぶ再び結ぶのは、
自分しかいないのです。