こんにちは。
大竹ひろこです。
お久しぶりです。
お元気ですか?
私は猛烈に元気です。
元気なのに自宅にいることがほとんどで、
元気だからこそそれを持て余してグダついているような状態です。
私はメルマガを発行しています。
何年になるでしょうか。
もう6,7年になりますね。
今年に入って新型コロナウイルスが発生し、
世の中が「一時停止」のような状態になり、
それに伴い私も一時停止してしまって、
メルマガも一時停止してしまいました。
メルマガに関しては言い訳ですねw
自分の仕事が、文章プロデューサーから会社の社長に変わったこともあり、
ブログを書いて多くの人に何かを届けようという気がなくなり、
必要がなくなったのでこのブログも書かなくなりました。
メルマガは月一程度の頻度で配信し、
ブログはほぼ毎日書いていたのに。
私にとって、
「必要」かそうじゃないかという基準が、
自分の行動に多大な影響を与えることを痛感しました。
ということで。
あ、ちなみに。
ライターの仕事も(ほとんど)やめましたので、
さらに書くことがなくなったんですよね。
「書く」という行為が、
昨年までに比べてガクンと減ったわけです。
なぜなら、
「書いて伝える」という必要がなくなったから。
とはいえ、
自分の協会のみんなへの連絡や伝えたいことはあるんです。
だけど……
「書く」が減った今、
みなさんへのお知らせは事務局にお願いして、
私はライブ配信などの「話す」にシフトしています。
その「話す」はこれまでもやっていて、
Facebookのライブ配信はかれこれ3年も続けていたのに、
「必要」がなくなったからか、
今は協会内部でしかやらなくなっているのです。
ここで何が言いたいのかというと、
「書く」をしなくなると、
どんどん「書けなくなる」ということです。
自宅にいるだけでも何かしら事件は起こるわけで、
そのことをメルマガを書こうとパソコンを開くも、
少し書いては「うーむ」となって、
「つづきはまた明日」となって、
書くことをやめてしまったりする。
2020年8月21日に書いたメルマガがあって、
それももちろん途中で終わっていまして。
先程それを読んでみて、
「なんか文章がかたい」
などと感じてしまったわけです。
その部分だけ読むと、
「そんな言い回しをしなくても」と思うのです。
だけど書いた部分全部を読みあげて人に聞かせると、
「すごいわかりやすい」という感想がきて、
なんだ、これでいいのか、などと思うわけです。
一部だけを読んで「うーむ」となって、
「なんで私はこんな書き方をしているのか」などと思い悩む。
(私の場合、長く思い悩むことができないので、すぐ身近な人に聞いてしまうのだけど)
なんか無意味だなーと。
例えそう感じたとしても、
その時の私がそう思って書いたのだから、
それはそれでいいのにね。
文章を書き続けてきた人が、
書くことをしなくなるとこうなってしまうのだなと、
自分の体でよくわかりました。
そのことに気付いたので、
とりあえず今こうして、
特になんの推敲もせず、
ダダダダーッと書き留めています。
今書けなくなっているとしても、
こうしてまた書き始めることで、
次の「書く」が始まっていく。
これからやることがあるので、
それをまずやって、
その後もしかしたら、
メルマガのつづきを書き始めるかもしれないな。
今そんなことを感じています。
「続ける」ということの大切さ。
かといって、
続けられなかったとしても。
ある時点でそれに気付いたら、
「再開する」その勇気ですね。
いつだってやめられる。
いつだって始められる。
人生やり直しの連続でしょ?
と、
自分に問いかけてみた朝なのです。