文章にはその人のホントの部分が表れるから。



私という人間はきっと、
冷たい印象を持たれているのだろうと思う。



他人より自分の方に多くの興味を注いでいるのだから、
そう思われるのは当然だと思う。



近頃はそれをわかっていて、
あえてその部分を丸出しにしたりしている。



人とのやり取りもそう。



「私、ホントは違うんです」
そんなことをしなくなった。



文章というものは、
直接話すよりも冷たい印象になりがちなのは、
みなさんご存じのことでしょう。



それをわかっていて、
文章に手を加えてあたたかみを増すことをせず、
そのまま相手に伝える。



なんか、
それでいいのではないかと思えてきている。



冷たい印象を持たれている人と会ってみて、
「あれ?この人実はそんなに冷たい人じゃないかもしれない」
相手にそう感じてもらえるなら。



もうそれでいいのではないかと。



文章で取り繕うひまがあったら、
さっさと会えばいい話なのだから。



相手に与える印象ばかりを気にして、
本来書きたいことが書けないだなんて。
(書けないというより書くことが面倒になるということもある)



そっちの方がおかしい気がしてきている。



印象操作はできる。
できるけれど。



その前に、
書きたいことを好きに書く。



話はそれからだ。



書いてみてから、
「そう思われちゃうんだ」を知る。



印象操作は、
そこからがスタートなのかもしれない。




印象操作には、写真も有効だね。