文章プロデューサー大竹ひろこです。
文章には、あなたの人生が丸写し!
ふと思ったんです。
「ピザ屋の彼女になってみたい」
なんでこういう歌詞をつけたのだろう?って。
「ピザ屋の彼女になってみたい」という歌詞は、
椎名林檎『丸の内サディスティック』という曲の一部です。
ピザ屋の彼女になってみたい
そしたらベンジー あたしをグレッチで殴って
ベンジーもグレッチも何のことかはわからないけれど、
「これをやったらあなた怒るでしょ?そしたらお仕置きしていいのよ」
という女の気持ちを感じます。
それが合っているかどうかは論点ではなくて、
「なぜ『ピザ屋の彼女』という言葉がでてきたのか?」
というところについて考えたのです。
「なってみたい」わけですから、
昔、好きな男をピザ屋に勤める女に取られたとか、
ピザ屋の彼女がすごく素敵だったとか、
そういうことかなと思うわけです。
ここで何が言いたいかというと、
「やっぱり文章にはその人の人生が丸写しになる」
ということです。
もう一度言いますが、
私の予想が合っていようが間違っていようが、
そんなことはどうでもいいのです。
「ピザ屋の彼女」という言葉が歌詞に出てくる。
ということは、
作詞をした人の人生のどこかに、
「ピザ屋の彼女」というワードがあったのね、ということ。
その曲の聞き手(もしくは詞の読み手)が、
そう解釈するところが論点なのです。
どういう経緯で「ピザ屋の彼女」を歌詞に使ったのかはわからない。
だけど「ピザ屋の彼女」という歌詞を聞いた人が、
その言葉に思いを馳せる、ということがいいわけです。
こんな風に歌詞の話になると、
その人独自の言葉とか、
作詞家の独特な言い回しがウケる。
なのにどうして一般人である私たちは、
みんなが使う言葉で文章を書かなければならないのか?
私はそれが言いたいのです。
芸能人だろうが一般人だろうが、
「その人独自の言い回し」
これを隠すことはできません。
なのに、
「こうした方がいいって言われたから」
そんなしょうもない理由で自分らしさをひた隠し。
ほらほら、
思い当たるでしょう?
そんなんでいいんですか?
本当にいいんですか?
もしも椎名林檎が大衆受けを狙ったなら、
「ピザ屋の彼女になってみたい」
そうは書かない気がするんです。
この解釈が合っているかどうかは知りません。
ただ、私はそう感じる、というだけのことなのです。
「こうした方がいいって言われたから」
そんな誰かの言葉ひとつで、
あなたらしさが失われている可能性。
一体どのくらいの確率で存在するでしょうね。
私にはわかりませんが、
少なくとも0%ではないと断言します。
自分が信じた人の言葉でないならば。
「こうした方がいいって言われたから」
こんな言葉を信じるよりも、
自分自身の内なる声を信じてみませんか?
「ピザ屋の彼女になってみたい」
こんな文章を、あなたも書いてみませんか?
え? どんな文章かって?
自分の中から出てくる言葉で書く文章、という意味です。