私という人間は元来、お調子者で、暗い過去より新しい未来が好きで、根拠のない自信にあふれています。毎日楽しいし、その楽しさをアピールすることも上手です。

 

 

その私は今、落ち込んでいます。落ち込むことはそうないのですが、この2日間はダメですね。楽しい瞬間もあるけれど、ふと気づけば「私ってなんなんだろう?」などと考え始めるのです。

 

 

その理由を人に言えば、「それは落ち込むことじゃないよ」と言ってもらえますが、そう言われてもダメなものはダメ。落ち込む理由を明確に知っている自分の気持ちを、自分でごまかすことはできないのです。

 

 

いつもなら人に「そんなに落ち込んでもいいことはないよ」などと言って回りますが、自分事になってみて初めてわかりました。「落ち込む」ことは、そう悪くないことなのだと。

 

 

「落ち込む」という言葉を辞書で引くと、こう書いてあります。「まわりと比べて、その部分だけが著しくくぼむ、ひっこむ」「何かがきっかけとなって、無気力な状態になる」「〔それまで順調に伸びていた業績などが〕急に下がる」はいはい、そうです。それが落ち込むということですね。

 

 

何事にもメリットを見出すことが好きなので、「落ち込む」行為にも何かメリットがないか?と考えました。そこで、見つけましたよ。落ち込む行為のメリットを。

 

 

それは、「内省できる」ということです。特に私のような、根拠のない自信に満ち溢れた人間には必要なことですね。普段自分の行動をすべて肯定して生きているため、それを続けていくと成長が望めないということに気が付いたのです。

 

 

これをネガティブと呼ぶかといえば、決してそうではないですね。ネガティブの意味は「消極的・否定的」という意味ですから、明日への成長に向けて行う「落ち込む」という行為は、ネガティブというよりむしろポジティブと言えそうです。面白いものです。

 

 

さて、そんな私はなぜ落ち込んでいるのか?その理由をお話しますと……

 

 

私は「素直」「ポジティブ」をモットーに生きてきました。ところがある人にそれをバッサリ否定されたのです。ある根拠を持って否定されたため、言い返すことができませんでした。そういえば別の人からも言われたことがあります。素直じゃないねと。自分が思う素直やポジティブの定義と、人が感じるそれとは違うことを知ったのです。

 

 

このことに腹を立てるのはナンセンスだと頭ではわかっているけれど、少しカチンときました。図星だからでしょうね。その後いろいろ考えました。今の私になぜこのことが起きたのか?必然ではないか?ならばなぜ今それが起きたのか?

 

 

そう考えると、自分に足りない部分がたくさん見えてくるのです。ライター?学長?いばってるんじゃないわよ。それ、極めているの?やりきっているの?足りないことがあるわよね?ならば次にすることは何なの?

 

 

「落ち込む」行為は人生に必要。まだまだ引きずってはいるけれど、それはそれでよしとします。この気持ちのままでいれば、足りないものを補う行為が進みそうだから。

 

 

それにしても、つくづく思うこと。それは、「私という人間は、自分で体験しないと理解できない生き物だ」ということ。まだまだ体験が足りない。知識が足りない。そういえば今年はなぜか、読書の回数が激減していました。だからかな〜?

 

 

この数日は、読書が進みそうです。さて、何から読もうかな。