文章プロデューサー大竹ひろこです。
文章ひとつで人生上向き!
この記事は、日本人向けの記事です。
外国人が読んだら「何を言ってるんだ?」と言われるに決まっているから。
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「山道を登りながら、かう考えた」
「おい、と声を掛けたが返事がない」
どちらも小説の書き出しです。これがもし、
「私は山道を登りながら、かう考えた」
「私はおい、と声を掛けたが返事がない」
こんな風に「私は」で始まっていたら、
趣も風情もあったものではない。
「第一人称を使わないのは、珍しくない。むしろ普通であった。」とは、外山滋比古著『人に聞けない大人の言葉づかい』にある一文。この本を読むまで、第一人称の使い方を改めて考えたことがなかったので、少し考えてみることにします。
そういえば、自分が書いたブログを読み返していて、「私」という字がうるさいと感じたことが何度もあったのを思い出します。「私が思ったのは」「私がその時感じたのは」などなど。自分のブログなのだから、思ったのも感じたのも自分に決まっています。なのに気づけば「私」という言葉を多用している。
「私は」という言葉を作家はどのように使っているのか?ということが気になったので、大好きな作家、伊集院静のエッセイを読んで調べてみました。
ぱらぱらと本をめくっていると、あるエピソードには「私」という言葉が数回出てくるのに、あるエピソードにはほとんど登場しない、そんなことに気づきました。
同じ人が書く文章なのになぜだろう?
よくよく読んでみると、前者の場合は「誰か」が話の中心であり、後者の場合は「自分」が話の中心なのでした。
例えば、「私こないだ横浜に行ってきて、私ね、中華を食べたの。私さ、すごくおいしいと思ったんだ。」こんな風に、自分の話なのに私、私と言ってしまうとすごくうるさく聞こえてしまう。これが英語だと「私は先日横浜に行った。私は中華を食べた。私はすごくおいしいと思った。」などとなるのでしょうが、日本語だと非常にうるさい感じがする。だから自分の話の時には「私」を多用しないのですね。
「日本語はもともと主語をださないで書くのが普通です。」
前述の外山滋比古氏の本にある一文です。「私」という第一人称を使う時は、読み手にやさしい、うるさくない文章になるよう気を付けたいものです。