My 40th Birthday! | ぱいれーつかあさん☆彡羅針盤はマヤ暦!

My 40th Birthday!

実は今日 3月4日は私の誕生日だ。

それもなんと第40回目の誕生日!

 

 

すでに40を超えている方達には失礼極まりないし、またまた健康に こうして歳を重ねられることは謙虚に感謝するべきことだ。

 

でも でも 私は 40代を迎えることが 本当にイヤだった。

 

自分が いつか40になるということを意識させられたのは 36歳の時。

高校時代の友達からの年賀状に一言


『アラフォー世代で頑張ろう!』

 

 

何?アラフォー??

フォーって 「40」??

 

ありえない!絶対に私が40だなんて!!

 

 

 

 

反抗期の子どもが 「俺は大人になんかならない!」と叫んでいる あれと一緒!

 

「4」という数字が不吉な数字だからか??

いや もう後戻りができないおばさんの烙印を強烈におされてしまうようで イヤでイヤでたまらない。

 

 


次々と自分の先輩や仲間達が 40列車に乗っていく。

 

 

いや 私はまだまだ30代!!

 

 

 

 

 

 

正直 いつまでも数字にしがみついていたい私だけど 誕生日は確実にせまる。

そして ついに今日 40列車に乗る日が来てしまった。

 

 

けれど・・・・

そんなにイヤなものだろうか??今の自分がイヤなのだろうか??

 

40代を迎える今の自分。

30代を迎えた時の自分。

そしてさかのぼること20代の自分・・・・。

 

 

 

私は 21歳の誕生日。友達から バースデーカードをもらった。

忘れもしない この言葉。


「21歳は人生の朝7時!

 目覚めたばかりの人生・・・・・

 どんな風にとっティーが 生きていくか楽しみですラブラブ」 

 

 

 

 

 

目覚めたばかりの人生・・・・。

 

 


 

 

 

でも一体 何に目覚めているのだろうか・・・・??

 

 

 

 

21年間 一体私は何をしてきたのだろう?

そして何をしていけばいいのだろう?

 

 

これが好き!これをしている自分が好き!と胸をはって

 

言えることが何かひとつでもあるのだろうか??

 

 

 


この時 私は大学3年の終わり。就職活動がこれからスタート!という時だった。

 


この頃出会った私の愛読書。

「かもめのジョナサン」で有名な飛行機乗り。

 

 

リチャード・バックの「イリュージョン」

 

 

話ももちろん大好きなのだが、

繰り返し繰り返し読んでいた文章、実は本の終わりの解説。

 

 

リチャード・バックの数々の言葉を 易しく村上龍さんが伝えてくれている。

 

 

そして読むたびに いつも思う。

「夢中になり愛せるものを持てる人間になりたい・・・」

 

 

 

 

 

作者リチャード・バックいはく

「人間にとって本当に愛するものをみつけるのはとても大変なことで、それがすべて、要するに人生の中心だと思うね。一生かかっても、ついにそれが見つからない人も多いと思うんだよ。

 だけど、ドアが閉まっていても、いつかは絶対に自分の好きなものが見つけられると、そういうふうに

導かれているんだと信じることだね。

だいたいは、どこもかしこも閉まっていると、絶望的になっちゃうんだよ。

だけど、あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。

その開いたドアが、自分のいちばん求めている、愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。

そこへ入る、またドアが全部閉まっている。

 

 

 

必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。そういうところをひとつずつ通過しているうちに、


 

いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ。」

 

 

 

 

 

 

この言葉を繰り返し繰り返し読んでいた 21歳の自分。

 

 

 

「オタク」になりたい!

趣味でも仕事でもなんでもいい。

人にどんな顔をされても構わない。とにかくなんでもいい。

私はこれだっ!と言えるものがほしい。一つのことに夢中になれる「オタク」になりたい。

 

 

 

振り返ってみると 私は高校時代部活を途中でやめてから すべてが中途半端だった。

何をしても 何をはじめても イヤになったら投げ出す。

そんなことを繰り返してきた自分だった・・・。

 


 

大工になるか建築士になるか自分の人生はどちらか。

頼むから受験させてほしい!と農家の両親を粘り強く説得し、小さいながらも建築事務所を構えた父。

 

そして子どもの頃から 小学校の先生になるんだ!と夢を持ち続け ひたすら努力し続けた姉。

 

 

 

 

ひとつのものを選択し生きてきた二人。

そんな家族の中の次女の私。経済的な不自由を感じることなく 気ままに生きている自分。

高校卒業後の進路も

ほぼ100%が大学進学をする高校。

みんなが受験するから ただそれだけの理由で4大を希望。

 

 

何がしたいか 何になりたいかなど決められない自分

 

「4年間通って 自分の道をみつけたい!」


 

 

父親から猛反対!「英語の専門学校へ行け!!」と言われるも

とにかく 4年間自由のフリーパスが欲しかった。

 

 

現役が条件!

学部もバラバラ 思いがないので勉強にも力が入らない。

そんな私の[名の知れた大学に入って自由を手にする4年間計画]は見事に崩れ 半強制的に受けさせられた2次募集の大学で4年間を過ごすことになった。

 

 

 

将来に漠然とした不安を感じつつも、まだまだ先・・・・。とどこかで言い聞かせていたような自分。

4年間で何かをつかむ!と豪語したものの

結局は あっちふらふらこっちふらふら。遊びほうけて何ひとつ選べない。

成績も「可」のオンパレード。親にも成績表をみせないような とんでもない親不孝ぶり。

 

 

 

 

そして

 

就職活動・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かろうじて ひっかかった会社に内定をもらい 卒業旅行。

途上国支援活動を学びに フィリピン大学に留学していた友を訪ねた旅。

 

そこで 私は稲妻にあたる!

 

とにかく稲妻にあたり続けて なんとなんと1年後・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 



中学校の先生になってしまうのだ。

もちろん日本の公立中学校である。

 

 

なぜ?

話すと長いのだが 一言でいうと

 

 

フィリピン最後の夜に ある人から けんかを売られたのだ。

(いつかまたこれも記事にしたい)

 

 

 

 

 

えっ とっティーが先生??

これも かなりありえない流れ・・・・。

 

小学校教師になるために ひたすら努力をし続けた姉を 

「何も経験しない かたぶつな人間が先生になるなんて・・・」とずっと冷めた視線を送り続けた妹の自分。

(これは あとになり深く深く姉に対して謝罪せねばならない気持ちだったのだが・・・)

 

 

 

大学1年の終わりに

 

 

「とっティー 教職一緒にとろうよ!!

給食食べられるなんて この先の人生ないよ!」

 

 

 

 


 

 給食!?

 

 

 

 

Jちゃんのこの言葉がなかったら 絶対に教職などとっていなかったと言い切れる。

 

 

 

 

 

そして教壇にたった私。

いきなり担任。

1・2・3年 1・2・3年 2・3年 1年 と ぴーがおなかにできるまで ずっとずっと担任生活。

学級崩壊に近い状態に陥り 精神的にかなりまいってしまった時期も正直ある。

 

けれど 中学生は面白い。大人でもなく 子どもでもない人種。

小さな世界のドラマの連続。

 

 

そんな学校で私が言い続けた言葉。

 

みなさん いいですか??

 

 

 

 

 

 

私みたいになっては いけません!!

 

 

 

 

 

 

特に受験を終えた卒業生達には

 

 

 

頭のいい高校、頭の悪い高校 そんなことを気にしている今があると思うけど

大切なのは、5年後10年後!こんなことしてます!と胸をはっていえる何かがあること。

 

 

 

5年前が小学4年生の10歳なら 5年後は20歳の大人。

 

ぐずぐずしてるとあっという間に 30 になっちゃうぞ!と自戒をこめて語っていた自分。

 

 

 

 

 

 

 

こんな私が ようやくひとつのものを見つけた。

 

 

それは部活・・・・。

ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

 

「頼むから 顧問になって下さい!!

 廃部になっちゃうかもしれないんです!!」

 

 

 


20人足らずの吹奏楽部。音譜もちゃんと読めない私に泣きついてきた生徒達。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始めは厭々だったのに いろいろ感じるところがあって 気がつくと

 

 

 

 

 

気分はマエストロ!!

 

 




 

無知の知と開き直り、あらゆる知人 つてをつかって指導に入ってもらう。

全国大会金賞常連高にも 毎年生徒達全員を連れていく。

 

中学生は伸びしろが大きい。

刺激を与えると どんどん どんどん自分達で勝手に伸びてゆく。

保護者のバックアップ体制も整い、W中で吹奏楽をやりたい!と思いをもって入学してくる生徒も増えてきた。

 

 

 

どんづまりと言われた部が 3年経って大きく変わり 部員も60人と増えた。

 

 

そして全国大会出場経験豊富な高校の先生に

「W中は すごくいいバンドになってきた。」とほめてもらえるほど成長した。

 

 

部門のレベルこそ最高位ではないけれど、県代表 関東大会出場めざして(あくまでも目標 笑) 

 

土日もなく 朝早くから放課後遅くまで生徒達は頑張った。

たくさんの人たちの力を借りて、私も本当によく頑張った。

 

 

 

コンクールの演奏終了後は とにかく涙がとまらない。

 

 

今でもあのときの自分を みんなを思い出すだけで 涙があふれてくる。

悪役に徹した私は 本当に泣き虫な顧問だった。

 

 

吹奏楽の顧問として中学生と生きていきたい!

 

 

 

 

ほとんど出席者のいない市の吹奏楽顧問のつどいにも顔を出すようになる私。

吹奏楽バカの先生達は普通のおじさんだらけ。

だけど部活の話になると みんな少年のように無邪気に そして熱い!

音楽屋ではないけれど、本格的に指導法を身につけ 自分の力で音を作ってみたい!

 

そう思い始めていた時

 

 

 

 

ぴーがおなかにできた。

いつか欲しい。いつか欲しい。とは思っていた。願っていたこと。

でも2つのものを手に入れることはできない。

 

 

我が息子ぴーは おなかの中で耐えた。

熱い熱い夏 部員50人。 40度近い音楽室での練習に耐え ぴーにとって「カルメン」の曲が胎教?となった。

そしてこれが 私の最後の夏になった・・・。

 

 

 

 

中学校の部活の顧問は ハンパな気持ちじゃつとまらない。

部活に力をつけていくには 3年はかかる。

復帰して吹奏楽に戻りたい。

 

 

けれどけれど 私は部活に そして仕事に打ち込むあまりに家庭を犠牲にしている先輩ママ先生をみてきている。

 

 

学校はとにかく忙しい。ある種殺人的に忙しい。

いくつもの役割を要求され そして家に戻っても朝なり夜なり電話がなることも多数。

仕事とプライベートの境界線がひきにくい。

反抗期まっただ中の生徒と渡り合うためには 自分の魂を削るくらいの心根がないと とてもやっていけない。

また中学生は好きだけど 組織として動くことは どうしても私の性にあわない。

分単位でいきることが苦しい・・・。

 

 

 

学校現場に戻るか?

家庭に入るか?育児休暇3年の中で ずっとずっと悩んできた。

 

 

 

そして3年後復帰するものの 

息子ぴーの病気が再発をくり返す。保育園にも通えない状況が続く。

今までだったら いくらでも残業ができたのに・・・。

今までだったら 土日も仕事ができたのに・・・・。

今までだったら こんなに生徒と関わり合えたのに・・・・。

 

 

 

結婚し子どもができると 職場での立場が大きく変わる。

これは どの分野の仕事も同じ。身軽だった時と同じように動くことのできないジレンマ・・・・。

 

 

仕事をやめなさい・・・・。家庭を大事にしなさい・・・・。

 

 

 

きっとそういうことだったのだろう・・・・。

私は学校の先生を、 安定?した収入が保証された公務員をやめて 専業主婦になった。

36歳だった。

そして かねてより願っていた2人目みーができた。

 

 

私には何ができるんだろう。

あんなに熱くなれた時代もあったのに・・・・。

もう戻れない。すべては もう過去のこと。過去なのだ・・・・。

 

 

目の前の子ども達に振り回されながら生きる日々。

半径2キロの世界で生きる毎日。

全力でぶつかってくる子ども2人。とヘロヘロになりながらも 毎日かあさんの私・・・・。

 

 

でも でも これも結構悪くない。

大変だけど 時間の流れが全く違う。

 

 

忙しいは 心を亡くす。と書く。

もし 私があのまま仕事につっぱしり続けたら決して得られない 子ども達と過ごす専業主婦としての

時の流れ・・・・・。

 

 

ほんとに小さなことだけど 道ばたでアリをみつけたり 飛行機雲をみて喜んだり・・・。

帰ってくる息子に おかえり!とおやつを出してあげられる小さな幸せ。


 

そして そんな「おかあさん」としての毎日を過ごしつつも 自分が夢中になれる何かをみつけたくて

通い始めたカラーセラピー。38歳。

 

そして セラピーの先生のアドバイスから始めたブログ 39歳。

この1年で大きく心が変化した。

 

 

 

自分の専業主婦としての日常を絵日記にすることで 全国の顔をみたこともない仲間から 「笑えた」「泣けた」と言葉をもらい また描こう!これはネタになる!と思い続けたこの1年。


なんだか 扉が開いた!

 

 

 

 

 

実は40歳を前にした先月 初めて絵を描く仕事をいただいた。

これは ブログあってこそ。

ほんとに感謝 感謝である。

 

 

 


とにかく恐怖の40代だったけど 

どこか これからの40代 自分がどうなっていくのか?わくわくしている自分がいることも事実!

 

 

 

 

人生計算上だと 午後の1時。

だけど私の心は 21歳朝7時!


40歳は 目覚めの40歳!

 

 

 

 

いろんなことがあるだろう。

けど しなやかに楽しんで 40代の自分を作っていきたい。

 

 

そして私の一番の応援団だった母。
「家族をまず大事にするのよ。だけど あなたらしく生きてね!」

 

 

私をこの世の中に産み出してくれた母親が どこかで笑って見守っていてくれると私はそう信じている。

 

 

 

随分ながーーーーーーーーーーーくなってしまったけど

とっティー40歳万歳!心のクラッカーならしてくれると嬉しいなクラッカー

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ほんとに長いおつきあいありがとう。

これからも 笑い そして時に泣けるぱいれーつ。自然体で更新していきます。応援よろしくね。


PS この場を借りて謝罪!

 私は 30年間 「私の誕生日は3月4日 高木ブーとおんなじよん!ラブラブ」と言い続けて参りましたが

高木ブー氏は 3月8日の誤りでした。

小学生の自分の間違った情報で振り回してしまったみなさん ごめんなさい。

ちなみに 3月4日は 山本リンダさんの誕生日ですドキドキ