Aさんの体調が悪く、もって半年の余命だとBさんから伺いました。

寝たっきりだったとか、だんだん痩せてきたとか、四肢にぎこちなさがあるとかの

見た目の変化とかは、全然様子が変わらないので、にわかには信じられませんでした。


その話を伺った時は、びっくりしたとか、悲しいという想いではなく

自分でも不思議なんだけど、とっさに沸いてきたのは「怒り」でした。


「病院変えたら?誤診なんじゃない?」「そんな馬鹿な話があるか」「そんな話聞いてない、死んでたまるかむかっ

悲しむ前に、圧倒的な怒りが先立っていました。


Aさんと、それほど親しくさせて頂いた訳でもないのに、この理不尽さに対する怒りは何なんだろう。


まだ半年あれば、気持ちも穏やかになれるのだろうか?


先月の砂川の死亡事故・・(あれは事故ではなく殺人だと、個人的には思っている)・・・あの一連の報道の中で、忘れられないインタビューがありました。


「さよならを言う間もなかった・・むごい」と、熟年の方が、声を絞り出すように言われたのです。


命に限りがあるのは誰でも知っているし、人魚の森(作・高橋留美子氏)でもない限り無理なのでしょう。

だけど、納得ずくの終わり方ってあるのだろうか?


「時間の使い方は命の使い方」 

生きるってことは、限られた命の終わりに向かって一歩ずつ進んでいくってことだよね。

--------------------

画像は、10年以上前からず~っと大切にしている児童書です。


「この世に生まれたもので 天のかみさまにあいされないものなんて いないんですよ・・・」

この台詞に、どれほど慰められたことでしょう。