1248年綾瀬市城山公園こ と早川城からやってきた渋谷氏。清色城へ定着した入来院氏の渋谷定心の次男、渋谷重経こと寺尾重経の鹿児島の領地である薩摩川内市樋脇町塔之原。宮之城線樋脇駅跡から樋脇城・塔之原城内や樋脇郷を走りました。
渋谷重経は平塚の領主でしたから、平塚育ちの私、関心深いです。
後年に東名高速綾瀬バス停付近の報恩寺から分祀された重経の塔之原殿墓へ走り、宮之城線跡を上樋脇駅~樋脇駅を戻り、また樋脇郷をサイクリングしています。江戸時代の島津氏の樋脇郷とは異なります。
渋谷重経は平塚の領主でしたから、平塚育ちの私、関心深いです。
後年に東名高速綾瀬バス停付近の報恩寺から分祀された重経の塔之原殿墓へ走り、宮之城線跡を上樋脇駅~樋脇駅を戻り、また樋脇郷をサイクリングしています。江戸時代の島津氏の樋脇郷とは異なります。