ああ、そういえば
うちはいろんなところが特殊だったと思います。
医者がいっぱいな一族で
(別にそうしてきた訳じゃ無く
結局出会いとか なんとなく出会っちゃったとかそんなもの)
そういう意味では
病状に関するやりとりは簡潔で
実際に「診た」ひとの言葉で黙ってみんなが
各自の行動を決める
そんな感じです。
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
私は母の黄疸の話を聞いてから
翌日にも本当は発てたんだけど
あれこれ言い訳して1週間後に出た。
そのときは「一ヶ月空けるから出来るだけのことをやって」と
思っていたけど それ以上に
自分に時間が必要だったのかもしれない。
一人帰国して 成田からバスにのって帰宅
もう記憶にないんだけど
その夜はごく普通に
母の席が空いた食卓で父と姉と夕飯を取ったと思う。
その時母の入院してた病院は
昔の父の勤め先だった 水戸の医療センターで
父の職場は正反対方向の日立にあるので
翌日 姉が私を連れて行ってくれた。
私が戻るまでの一週間
減黄処置(黄疸を減らすための処置)がされていなかったことに
実はかなり腹を立てていた私。
一応 理解は示していたつもり、
医者ばっかりいる家族の「お母さん」
下手な処置はできない、失敗できない
主治医はその病院の副院長先生
副院長の指示なしに動くって言うのは・・・という
内科のお医者さんたちのうごき。
(内科は比較的一人一人の裁量で動きます)
それにしても一週間って。。。。
外科出身の私としては怒りに到達することばかり。
(外科はチームでいるので、誰かが忙しい時はチームがカバーします)
会いにいった母は 黄色どころじゃなく
ぎらつく黄土色をしていた。
その肌を娘に見られるのすら恥ずかしそうに
母は それでもなんでも無さそうに
「あら、あんた来たの」と言った。
明日検査が入るんだって と
なんだろうね、黄色いし と
母なりに理解しようとしてるのか
本当のことを薄々分かりながら分かりたくないのか
怒りが頂点に達していたので
その日の担当の看護師さんに
主治医の先生と話をさせてくれ、お忙しいのは分かっているけどと
すぐにお願いした。(もちろん、申し訳ないけど!って懇願した形で。)
この10年滅多にしない自己紹介をした
「外科医をしていました三女です」と。
私だったら そんな家族に会いたくない。
言われることは 分かっているから。
でも帰国するまでに決めてたんだ。
他人がどう思うか、じゃない。
相手のこと 理解出来る とかじゃない。
今回は「患者の娘」で帰るんだ。
原告側の弁護士みたいなもんだ。
昔は医者だった、なんて言葉は今回は使わない。
私は医者だと言う。
面倒な家族は
医療者の一番の理解者にも協力者にもなる。
それは
私が現役時代の信念だった。