前記事の「差別の話」

なんでこんな事を思いだしたかって
2月19日が近いからです。
1942年 日系アメリカ人に強制退去が言い渡された日。




2年前の夏 日系人強制収容所の生き証人のひとを
日本にお連れしました。
そこで何が起きたか どんな歴史が教科書に載らずあったのか
どんなひとたちがいたのか
今私達ができることはなにか
そういう話をしてもらい たくさんのひとに聞いていただきました。
1500人くらい、だろうか。




あれはあれで・・・意味は在ったと思うんです。
でもね、私は聞いているヒトの知識がバイアスをかけるんだな、って
もの凄く思った。



差別、戦争、
みんな相互理解が足りないからおこること。

各個人の知識が追いつかないから起こること。



知覚や世界を広げる ってもの凄く大事。
そこを広げることが出来るのは人間である特権だから。



1つの物事から みんなが同じ感想をもったり
同じ方向に動こう。なんて思わなくたっていい。
ひとりひとりの知覚できる部分が少し広がればいい。
今はそう思います。


ああ、そうか。



だから私はヒトに会いたい。
彼らの言葉で彼らの生きている時間を聞きたい。


一人一人が違うフィルターを通して世界をみている。
だからそれが知りたい。
どれがいい、どれが悪い、ではなく
自分のフィルターは特殊だ と知るために。


私が全部伝えるのではなく
私が媒介してみんなに伝えればいい。
私は私が伝えられることを伝えればいい。


世界を変えたい って思って
コミュニティというものを変えなきゃいけないとおもってた。
コミュニティを変えるには
そこに横たわった 大きな溝に橋を架けなければイケナイと思ってた。


橋を架けなくても
一人一人に少しずつ拾って貰えばいい。
そういう時代に落として貰えたんだ。



自分だけでやろうとしなくていい。
全部 いろんなヒトの話を用いればいい。
そういう依存もありだ。
だって 私の時間だけでは足りない。



届けたい物。
私達の世界は ありふれたものが既にありふれてないこと。
ひとりひとりが 知覚をひろげることが
世界を変えていくという手応え。


ひとりひとりの
可能性がひろがる何かを届けること。
料理の仕方はなんでもいい
そのまま食べてもいい
そういう「材料」を届けること。




それが私の羽?なのかなl。