疑うと信じる を上手に合わせたときしか わからないことがある。松原靖樹さんのコラムが小難しそうでもとても好きな理由が随所にある文章なので個人の感想抜きにそのまま転載。(ほぼ日コラムより)人間、どんなところにだって統合を求めねば真価をみることはないと思う。真実は ひとりひとりにとって見える側面が違うのだから。1つ見えたから、と天狗になったり それだけ信奉したりの自分には間違ってもなりたくないものです。【本当は違うかもしれない】ブロックを取るのに、キネシオロジーとかフラワーエッセンスとか、アロマとか。人のリーディングと呼ばれる技術とか、ヒーリングとか、前世の影響がどうとか。そういういちスキルは確かに使い勝手が良いのです。と同時に、そのスキルが使いこなせるようになったからといってそれが本当はそういう思い込みを利用してストレスを取ったり、生き方楽になったり、売上が上がるようになったりしているだけで誰にも筋肉の反射や前世の影響やら何やらが本当のことだと証明することはできません。物事を簡単に考えてみると、そういうのは単純に思い込みです。なぜそう思い込むのかというと、自分をどうにか動かしたいと考えているから。だから、自分をうまく動かしてくれた(必ず過去形)思い込みの「群」に名前を付けて○○ヒーリングとか○○リーディングとか言っているだけです。現実的に大事なのは○○ナントカを使ったことではなくて自分にとっての現実が大きく動いた結果だけです。僕も○○ナントカの恩恵を受けてきたし、実際に勉強もしてきました。目に見えない世界があって、それが分かる人たちの話を聞いていると、別の人と別の人で同じことを言うので、確かにそうなんだろうと深くうなずくこともあります。なんだけど、本当は違うかもしれない。人間の「知覚」には限界があるから、知覚の範囲でわかりやすいものをわかりやすく翻訳しているだけで、本当は違う・・・・なんてことは山ほどあるわけです。普通に生きていても、たとえばテレビなんか光のシグナルであって、モニターの向こう側で誰かがコミュニケーションを取っているわけではない。生放送も同じ。と言って、誰かがコミュニケーションを取った事実は確かにある。なんてことはつまり、どっちでもよいのです。つまるところ、その番組を見て楽しめたかどうかだけ。つまるところ、その○○ナントカで大事なのは信憑性ではなく、ありのままの自分に近づいたかどうかだけ、です。というようなことをなんで書いているのかというと、○○ナントカを疑っている人に「ぜひとも一度経験して、結果だけとればいいじゃないか!」と言っているのではなく○○ナントカをやる方の人に本当は違うかもしれないということを知りつつやってほしいと思うからですね。あんな世界やこんな世界がある、というのは専門家の責任としては勉強する必要があるけども、熱っぽく語って啓発すればするほどウソ臭い。なんでウソ臭いのかというと、あんな世界やこんな世界がウソ臭いのではなく、あんたがウソ臭いんだ、という話です。なんであんたがウソ臭いのか?というと、その道の専門家の中に、本当は違うかもしれないと知りつつやっている人がほとんどいないからです。言い方を換えると、結果や成果を取るために一生懸命ではなく、自分のリクツを証明するために一生懸命だからウソ臭いのです。そういうのは○○ナントカの世界だけではなく、ビジネスや自己啓発でもよくあるし、科学者の世界でも政治の世界でも見られることです。(自分が正しい合戦)実にくだらない。自分のやっていることが心の底から本当に違うかもしれないと思ってやる矛盾。そういう矛盾を抱え続けられることが、なぜか信頼性に足るということです。 松原靖樹