誰かや何かを失って、「あぁすればよかった」と思うこと。 | ondalindaზ⋆∞のびのびとしたあなたを生きよう∞⋆✧

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遊が4月23日に旅立って、なんだかんだと4週間程経ちました。

「やたらに急いだり、怠けたりしない」ワークをしている(内観ワークのひとつです)自分にとって、実家に通っての遊の介護の時間が空くことで少し時間に余裕が出たと思うのか?どちらかというと「したいことが多い」私にとって、あまり変わらないと思うのか?と言うと、「なんだか少し余白が生まれている気がする」と感じている今です。

今日は、実家に来ています。もともとは実家に来ての遊の介護に当てていた時間だったため、その流れをそのままにしています。余韻を味わい泳がすとき。このように、なんとな~く適度に実家に顔を出し、母との時間を過ごしています。

そんな中で・・・

今回愛犬の旅立ちを見送ったように、誰かや何かを失って、「あぁすればよかった」と思うこと

ずっと遊の介護をしてきた母にとって、いつでも心づもりはしていたし、遊もタフかもしれない状態でただただ長生きをしてほしいと思っていたわけではありません。それは遊が要介護になって獣医さんに覚悟をしていた方がよいと既に3年前に言われたこともあり、何度も考えたし話していたことでもありました。


それでも、「明日旅立ちます」「この日に旅立ちます」と事前に明確に知る人はほぼいないもの。

前日の晩まで喜んでご飯を食べていた遊が、その数時間後の夜中に吐いて、横で寝ている母はその度にお世話はしていたけれど、その後ワンワン鳴いているのをずっとかまってはいられないから、自分も寝ないといけないから、背中を向けて寝てしまったことが悔やまれるのだそう。


次の日に、、、その後わりとすぐに亡くなるのだと分かっていたら、そりゃ、寝ずに色々してあげただろうね、そう思う気持ちは重々分かる。誰でもこういうのって思いそうです。


そんな母に、こんな話をしました。

「お父さんが亡くなる前日にさぁ・・・・」と。

 

2018年の1月4日。父が他界しました。

実家で一緒に父を看ていましたが、血中酸素濃度があまりにも下がり救急車で搬送されることになりました。

その日も次の日も、母と交代で病院に行き、父を見守っていましたが、私が夜に病院から自宅に帰ってくるや否や父から私の携帯に電話があり、父は普通に電話ができるような状態でもなかったのですが、無理を言って看護師さんを通してかけてきました。

父は電話越しにこう言いました。

「寂しい。そばにいてほしい」と。

そんなことを言う人ではないので、どうしようと思ったけれど、さっきまで私は病院にいて帰ってきたばかりで、明日も母と交代で行く予定でした。父のこの状態がいつまで続くか分からないから、家族も自分の心身や体力とのバランスをとりながらでないと継続して看ていくことができない。電話で父と話したのは私だけれど、母や姉がそこに一緒にいたので、家族に状況を話し、どうすべきか訊いてみたりもしたけれど、皆が戸惑っていました。そして看護師さんに状態を詳しく確認し、今緊急で行く必要がある状態なのかどうかを訊きました。そうすると、バイタルは一応落ち着いているので今緊急の状態ではないということでした。

私はそう父に伝えて、「今は大丈夫だと看護師さんが言っているから、また明日必ず行くよ」と。

父は「分かった」と言いました。

それが父との最後の会話でした。

その2時間後、病院から電話がかかり、父が意識を失い危険な状態だと連絡が入りました。

父は自分が意識を失うことをたぶん感じていて私に電話をしてきたのだと思いました。



私は肉体の父を失うことは父を看ている時から恐れてはいませんでした。それは、亡くなるということが「失う」ということではないと既にそう感じる中で日常を生きていたから。何度も考えてみたけれど、そこに実存して触れることができないことには寂しさを感じることもあるかもしれないけれど、「失う」という感じ方ではないと自覚していました。

だから父が他界したこと自体は、「むしろ何か近くなった気がする」と思っているくらいなのに、あの最後の電話の瞬間の父にだけ、「分かった、今から行くよ」って言ってあげたかったと思ってしまう、そこだけ何か残ってしまった・・・と感じていました。

 

あの父の最後の声を聞いたのは私だけだから、「家族と共有できない私だけのものとして持った何かになったなぁ。時間をかけて昇華するしかないのかな」と思っていました。

それは今回の母の、遊の最後を見たのは母だけで、私は実家ではなく自宅にいました。そういった何かを自分でしか持つことができないというのは、よく分かる。

 

 

父の最後の言葉を昇華していくプロセスで、私はこんなことを思いました。

 

それが今回母に話して、母も考えてみて、納得したことです。


もし、もう一度、あの日に戻ったとしたら、けれど、それがその後起きることを記憶して戻れるのではなく、全て忘れてまたあの時の自分であの日あの時に戻ったのなら、自分はどうすると思う?と。

私は父の時そう考えて、何度そこに戻っても、その時の自分だったら、父を見守ることを安定して継続させていくために、父がそのまま病院でしばらくいるのなら、明日も明後日も元気に顔を出すことができるように、やはりその時と同じように看護師さんに状態を確認して、そこでは自分の休息を優先させ「明日またいくよ」と父に答えるだろう、と。その時の自分が自分なりに精一杯考えてそうしたのなら、それ以上どうすることもできないだろうと。そこに戻ってもやっぱりそうすると思うなら、それはそれ以外はもうなかったということだ、と。

そう母に話しました。

母は、遊の件でその時のことを考えて、やはりそうするだろうと思ったそうです。

その後の展開を知っているから、「ならば、あぁすればよかった」と思うことが湧いてくるけども、その後どうなるか知らない自分にとっては、「ああすればよかった」の内容は考えようがないこと。

そして、もし、その後のことを記憶を持たずその時の自分に戻って、その後の展開を知ってもないのに、「いや、戻れば私はこうするかもしれない。」と思うくらいならば、その時その自分は、真っすぐ目の前のことに向き合えていない感覚が既に自分にあるのだと思うと、私はそう感じると話しました。

目の前のことに背いている自分、一生懸命向き合っていない自分に既にどこか自分でその時気づいていて、自分に違和感を感じながらその行動を選択しているならば、それは記憶を失って戻ったら‥と考えた時でも「こうした自分がいたかも」「どうしてこんなことをしたのだろう」と思ってしまうのではないかと思うと。

それならば、「それは思い切りいっそう後悔すればいいやつだ」と。後悔することに意味があると。

けれど、その時はそれだっただろうな~と、何度戻ってもその後のこと知らなきゃそうするだろうな~と思うならば、ほんとうは後悔しようがない、と母に話しました。


母は納得はしたようでした。「そうしてあげたかったな~」とは思うものの、それはやっぱりそうしただろうなと、自分のこととしては整理して観れるという状態になったというのか。

これは、ぼんやり後悔していたり、気になってしまうというのとは全くちがうので、とても大切なことだと思います。


こういう気持ちはあるけれど、でも、この点おいてはこうだから、、と整理して観れるだけでも、無駄に気持ちが彷徨うっていうことはなくなっていきます。

何か起きたこと「あぁすれば・・・」と気にしてしまう時、自分の確認としてこの見方は役に立つかもしれません。

それは、後悔しないためじゃない。ほんとうに後悔できる(すべき)ことなのかどうかを観るためです。



私が父のことでそう考え、「その時の自分ならもうそれを選んでいただろうな、何度戻っても。だったら仕方なかったな」と昇華していった頃、、思いがけないところから、私は父からのメッセージをもらいました。


今回そのことも母に話し、母の何かが少し溶けたようでした。

 

 

 

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