今回は、「愛と愛情について」書いてみたいと思います。
同情と共感について 前回書きました。
この「情」というのが付いているのか付いていないのか、言葉ではそこが違っていますよね。
そこに何かありそうですよね。
「情がない。」と聞くと、冷たい感じがしますか?
私は正直します。
にもかかわらず、「情」を外していく、という作業を学びが進むほどにしていくことになるという事実が、私の体験上あります。
「同情と共感」についても、「愛と愛情」についても、前回最初に話したように”言葉の定義”の問題もあります。ひとまず個人の”言葉の定義”の違いという課題は、ここではある程度横に置きます。ややこしくなって何を話しているのか分からなくなるので。
ひとまず、”集合意識”が持っているその言葉の定義を前提にする必要があります。
この「愛と愛情について」は、ここが人を混乱させていると思います。
「情」は私たちを”ややこしく”させることが多いけれど、”悪いもの”だと思うと大切なことを落としてしまうように私は思っています。
人間には、当たり前のように「感情」がある。
ここにも付いてますね。「情」という字が。
人間として生まれて、最初から「情」を感じさせない、というのは、人間生活の中でむしろ「課題あり」として出てくるのかな?と思います。
「情」は私たちをややこしくさせるけど、人間としては、「一度それを持つ」体験をし、そして「手放していく」というのがルートなのかな、と感じます。
なので、手放していくプロセスを体験するものであり、最初から「無い」というのは、「手放した」という状態と同じではないと感じるので、そこはまた別の課題として見ています。何故なら、「(魂が)地球に降りきっていない(何らかの理由で)人」に「情の薄さ」による課題が浮上していて、課題としてその人の人生に現れていることが多いからです。
例えば、「(感)情」の薄さが「人の気持ちに沿っていない」言動によって、その人自身が心地悪さを感じていたり、現象として課題が出ている等。(そしてこれはスターシードの常識が理解できない、というのとは少し違った出方をしています。)
なので、「情」というテーマに関しては、人間としては、「一度持つ」という体験があり、「そこから手放す」というプロセスが健全なのだと感じます。
最初からどっぷり人間っぽいですという人は、「一度持つ」うんぬんではなく、「手放していく」というプロセスにいずれ入って行きます。
言葉の定義の問題としては、「愛情」を「愛」だと認識しているという、集合意識があるように感じます。
なので、「愛情」と「愛」がごっちゃになっていることで悩みや問題が生じているというケースがたくさんあります。
「私はこんなに愛しているのに!」という愛は本来人間が魂上目指している「愛」ではない、という感じ。
ここはやや言葉通り、「愛」とはそもそも「情」がプロセスをやった上で手放されている状態のものであり、深いがサラっとしていて、コントロールがそこにはありません。では、そう言っている私がそういう状態なのかというと、それを体感として知っていると感じる自分がそう言っているのであり(高次元の自分自身というのだろうか)、人間の私が全面的にそうかと言えば、違うと思います。できるだけ正直に言うと。
明らかに日常で「情」が絡むことで苛立つ部分だとか、コントロール欲求が湧いたことに気づく瞬間はあり、そういう状態ではない時、ない部分の私が、「愛」ってこんな感じだよねと体感で感じるというものです。そして日常的にその瞬間に違和感として「気づける」というのは、それに気づいている自分がいるということですよね。その自分が「愛」の状態の自分なんだと感じています。
サラッとしているのに、とても深くそしてとても広い。ハイアーセルフ同士が話しているという体験を覚えたまま、こちらの日常に帰ってきたことがあるのですが、「実は個人のハイアーセルフがそんな感じなのか~」と現実的に手に取るように思うと、本当に何も心配することもいらないし、そういう発想自体(何かを心配するという感覚)が既に自分から解離しているのだということを感じたことがあります。
だけど、人間として何かを思い悩んだり、自分に試行錯誤しながら取り組むというのは、決して無駄ではなくむしろそれが、人間成長や自己(ハイアーセルフにも)繋がることになるのだということは、ハイアーセルフは愛の状態で解っています。
不思議ですよねー でもそれが宇宙のパラドックス(逆説的真理)であり、キーポイントです。
では、愛とは?愛情とは?
「愛情」とは人として体験する様々な”感情”が付随している感覚であり、その状態である、と理解しています。それを体験しながら、小さな自己(これが私だと思い込んでいる小さな自分)から起きてくる他者や出来事に対する苛立ちや「こうさせたい!」というコントロール欲求を手放していくことが「愛」の状態へと進んで行くという感じになるのかな?
これを言うと分かりやすいかな?「至福体験」や「至高体験」というのは、感情でなく、「感覚」として体験します。体感として体験する。
なので、「感情」は人間特有のものです。
これらのテーマについて、それが今の私の感じていること。
小さな自己から起きてくる ”他者や出来事に対するコントロール欲求” こそが、その「情」の部分と大きく絡んでいるけれど、「情」がなければ人間としての学びや学びへと昇華されていく動機や行動のスイッチになるものも随分減ってしまうだろうと思います。
感情がないと私たちは動かないので、大切なものでありながら、「感情」に振り回されたり揺らされることを手放していくプロセスを提供してくれるものが「愛情」でもある。
そのプロセスをしていく中で「愛」の状態へと変容していく、と捉えています。
同情と共感について で書いたガラスのコップのAさんの視点やBさんの視点のこと。共感能力を持って、それに振り回されず、共感的理解へと発展させていくことやその観察力については、私は現実的に取り組み続けたトレーニングがあって、
∞0-9次元アクセスワーク∞ で書いている、物事や出来事を、物質(事実)、エーテル体(生命体)、アストラル体(感情体)、自我(高次の自我としての視点、気づき)で見ていくという作業があります。それを7年以上やったことで日常でそれができるようになっていきました。
めちゃくちゃ、地味で地道な作業ですが、そこまで毎日やるならば誰でも本当にそうなると思います。
なので、時々思います。「やり切らない」のに悩む人間というのは不思議だとw 「やったらできる」と言われることがあっても、ほとんどの人はそれをやり切らない。だけど、「探す」し「悩む」。
こういう視点は、まさに、高次元的な視点だなーと感じます。「人間って不思議」と思うわけだから。と同時に自分のことのように他者に「共感」もするし、同じように感じていることも多々あります。
人間の体験できることはユニークで、宇宙人からすると本当に興味深いんです。
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2019年豊かさのベースを作りまくる年![]()
(※ 活性化ワークは過去に<他の所で>伝授を受けたけれど昔のことで眠らせてしまっている、、という方を対象にしています。)
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アバンダンティア・アバンダンス・レイ伝授 ~その後のプロセスやヒーリング体験~
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