意識の架け替えワーク のシェアです。 ここを動かしてくるために、もしくはここを解放してくるために、こちら側のこんなところを押す必要がある、そういうとても言葉で説明しがたいところを毎回調整しているような感じでした。
肉体でもそうだと思うのですが、ここの症状を改善するために、そこからかけ離れているように感じるところを調整する必要があったりすると思います。
このワークのとき、「ホールドの状態」という話をしました。「ホールド」というのは、「持ったままその状態を保つ」ということです。
そして、またさらにその状態でいて「解釈しようとさえしない」「解釈を入れない」、、なんならそのまま入れないままにしていく、というくらいの感じで、そのチャレンジの話をしました。
「ホールドの状態」について書いてくださっているので読んでみてください。

今朝は、ともこさんの架け替えワークでした。
昨夜は新月の影響なのか、頭が冴えてて寝付けず、なんか頭も体もちょっとフラフラな状態で…
しかも今朝は閃輝暗点(せんきあんてん)というのに初めてなって(視界の端にチカチカ光る弧が見えます)、ネットで調べてみたら、これになったら後で偏頭痛が来るらしいと書かれていたので、密かに頭痛薬をスタンバイしてワークに臨みました。
肉体でもそうだと思うのですが、ここの症状を改善するために、そこからかけ離れているように感じるところを調整する必要があったりすると思います。
このワークのとき、「ホールドの状態」という話をしました。「ホールド」というのは、「持ったままその状態を保つ」ということです。
そして、またさらにその状態でいて「解釈しようとさえしない」「解釈を入れない」、、なんならそのまま入れないままにしていく、というくらいの感じで、そのチャレンジの話をしました。
「ホールドの状態」について書いてくださっているので読んでみてください。
今朝は、ともこさんの架け替えワークでした。
昨夜は新月の影響なのか、頭が冴えてて寝付けず、なんか頭も体もちょっとフラフラな状態で…
しかも今朝は閃輝暗点(せんきあんてん)というのに初めてなって(視界の端にチカチカ光る弧が見えます)、ネットで調べてみたら、これになったら後で偏頭痛が来るらしいと書かれていたので、密かに頭痛薬をスタンバイしてワークに臨みました。
最初、エスプレッソだと感じた架け替えワークの濃度は、この一週間は現実が動くという部分に出てきたようで、非常に濃い現実を今、生きてます。(笑)...
でも、ようやく人生ではじめて現実を生きれてる気がして、私は嬉しいのです。
でも、ようやく人生ではじめて現実を生きれてる気がして、私は嬉しいのです。
今日のワークで最初に、「ホールドの状態」という話をともこさんから聞きました。
そのときに私の頭に浮んだのは、弓道の弓を引くときのイメージでした。
射るときは、矢と弓を構えて引っ張っていきますが、引っ張って、引っ張って、引っ張って…
あるところまで引っ張りきると、そこで一旦止まる。
そして、手をゆるめて、矢のなすがままに放つ。
弓道ってそんな感じらしいのですが。
(私は弓道やったこと無くて、オイゲン・へリゲル氏の「日本の弓術」という本を読んで理解したことです。)
そのときに私の頭に浮んだのは、弓道の弓を引くときのイメージでした。
射るときは、矢と弓を構えて引っ張っていきますが、引っ張って、引っ張って、引っ張って…
あるところまで引っ張りきると、そこで一旦止まる。
そして、手をゆるめて、矢のなすがままに放つ。
弓道ってそんな感じらしいのですが。
(私は弓道やったこと無くて、オイゲン・へリゲル氏の「日本の弓術」という本を読んで理解したことです。)
この、引っ張っていってるときは、タイミングを意識しながら高まっていってるときのように思います。
そして、引っ張りきって止まってる状態は、たぶん「無」になってるんじゃないかと。
その「無」のときに、タイミングがくる瞬間があり、そのタイミングをとらえて、手をゆるめると、矢がまっすぐ飛んでいく。
弓道の外見だけを見ると、意識的に的に当てようとするスポーツのように見えるけど。
でも実際には、射る者のエネルギーの動きが、矢の動き(移動)となって表れているように思います。
そして、引っ張りきって止まってる状態は、たぶん「無」になってるんじゃないかと。
その「無」のときに、タイミングがくる瞬間があり、そのタイミングをとらえて、手をゆるめると、矢がまっすぐ飛んでいく。
弓道の外見だけを見ると、意識的に的に当てようとするスポーツのように見えるけど。
でも実際には、射る者のエネルギーの動きが、矢の動き(移動)となって表れているように思います。
ともこさんから最近、「解釈を入れない」ということを聞いています。
それがこの、引っ張って、引っ張って、そして「無」になった状態のような気がしました。
タイミングが来ないときは、いつまでも止めたままかもしれない。
あ、そうか、止めるってホールドだな、って今書きながら気付いた…(笑)

やすこさん、ありがとうございます。
引っ張って、引っ張って、そして「無」になった状態とありますが、そうそう、そのとき自動的に解釈は入らないですし、とても集中力が高まっている状態です。
何かに関してタイミングを見たりするときは、その件に関してこの状態が自分の中で起きています。ある意味での緊張はあるけれど、力んでいる状態ではないです。
そもそも肉体体感レベルで調整したいことがあり、こういった話、このような調整の話になっているのですが、やすこさんからこのシェアをいただいて、その根本的なところを語っている講和がトランスフォーメーションタロットにあったことを思い出しました。
抜粋してシェアします。
学識のある人は、生命にあふれた人のところに行かなければならない。人工のものは、〈真実なるもの〉のところに行かなければならない。
・・・
彼はそのことが言われるのを何度も聞いていた。そのことを読んだことがあった。彼はそのことを熟考していた。彼はそのことをほかの人びとと議論したことがあった。真ん中に在ることが正しい、と。
彼女はあまりにも完全に飲み込まれていた、あまりにも全面的に動きのなかにいた..それもまた仏教徒のメッセージだ。動きに全面的に入っていることは、動きから自由であることだ。トータルでありなさい。そうすれば、あなたは自由になる。
全文はこちらです。(54. 一点に集中すること)http://ameblo.mom/tomatottochan/entry-12251870275.html
このカードは、男女の陰陽についてのカードでもあります。学識のある人が生命にあふれた人のところに行くことだけが必要だと語っているわけではなく、その逆のことも二人が共に生きていくという描写の中で伝えています。
ちなみに、学識のある人というと、わたしないわ、、って多くの人が自らはそう思うかもしれませんが、「思考するのが好きな人」という意味です。ちなみにうだうだ、ぐるぐる考えるって意味ではないです。それは実際「思考」とも言えません。
この講和では、男性のサラハを「学識のある人」として、女性の鍛冶屋を「生命力にあふれた人」として語られていますが、彼らの両方が自分の中にいると想像してください。
陰陽になっているからどちらも大切なんです。
裏付ける知識や理解が必要になる人(時)、動きに全面的に入る必要がある人(時)、陰陽のどちらを強める必要があるかは人それぞれ。
もちろん、どんなときもどちらもある程度は機能しているという状態で、さらに、という意味です。
それらをバランスさせ、バランスからハーモニー(調和)へと向かっていくことが、わたしたちの心身の健康をより活性化させていく。ハーモニーというのは循環の状態。
きっと精神的に充実して、そして肉体的に交流活動していく、それがヒトの調和なのだと思います。
「でも、ようやく人生ではじめて現実を生きれてる気がして、私は嬉しいのです。」
現実を生きれている感覚って本当に嬉しい感覚だと思います。
この感覚は程度の差はあると思いますが、共感できるところがあります。
そして、共感しきることもまた難しいように、多くの人にその感覚が何かしら自分の中であったとしても、、同時に人には分かってもらえにくい感覚でもあります。
それがこの、引っ張って、引っ張って、そして「無」になった状態のような気がしました。
タイミングが来ないときは、いつまでも止めたままかもしれない。
あ、そうか、止めるってホールドだな、って今書きながら気付いた…(笑)
やすこさん、ありがとうございます。
引っ張って、引っ張って、そして「無」になった状態とありますが、そうそう、そのとき自動的に解釈は入らないですし、とても集中力が高まっている状態です。
何かに関してタイミングを見たりするときは、その件に関してこの状態が自分の中で起きています。ある意味での緊張はあるけれど、力んでいる状態ではないです。
そもそも肉体体感レベルで調整したいことがあり、こういった話、このような調整の話になっているのですが、やすこさんからこのシェアをいただいて、その根本的なところを語っている講和がトランスフォーメーションタロットにあったことを思い出しました。
抜粋してシェアします。
学識のある人は、生命にあふれた人のところに行かなければならない。人工のものは、〈真実なるもの〉のところに行かなければならない。
・・・
彼はそのことが言われるのを何度も聞いていた。そのことを読んだことがあった。彼はそのことを熟考していた。彼はそのことをほかの人びとと議論したことがあった。真ん中に在ることが正しい、と。
彼女はあまりにも完全に飲み込まれていた、あまりにも全面的に動きのなかにいた..それもまた仏教徒のメッセージだ。動きに全面的に入っていることは、動きから自由であることだ。トータルでありなさい。そうすれば、あなたは自由になる。
全文はこちらです。(54. 一点に集中すること)http://ameblo.mom/tomatottochan/entry-12251870275.html
このカードは、男女の陰陽についてのカードでもあります。学識のある人が生命にあふれた人のところに行くことだけが必要だと語っているわけではなく、その逆のことも二人が共に生きていくという描写の中で伝えています。
ちなみに、学識のある人というと、わたしないわ、、って多くの人が自らはそう思うかもしれませんが、「思考するのが好きな人」という意味です。ちなみにうだうだ、ぐるぐる考えるって意味ではないです。それは実際「思考」とも言えません。
この講和では、男性のサラハを「学識のある人」として、女性の鍛冶屋を「生命力にあふれた人」として語られていますが、彼らの両方が自分の中にいると想像してください。
陰陽になっているからどちらも大切なんです。
裏付ける知識や理解が必要になる人(時)、動きに全面的に入る必要がある人(時)、陰陽のどちらを強める必要があるかは人それぞれ。
もちろん、どんなときもどちらもある程度は機能しているという状態で、さらに、という意味です。
それらをバランスさせ、バランスからハーモニー(調和)へと向かっていくことが、わたしたちの心身の健康をより活性化させていく。ハーモニーというのは循環の状態。
きっと精神的に充実して、そして肉体的に交流活動していく、それがヒトの調和なのだと思います。
「でも、ようやく人生ではじめて現実を生きれてる気がして、私は嬉しいのです。」
現実を生きれている感覚って本当に嬉しい感覚だと思います。
この感覚は程度の差はあると思いますが、共感できるところがあります。
そして、共感しきることもまた難しいように、多くの人にその感覚が何かしら自分の中であったとしても、、同時に人には分かってもらえにくい感覚でもあります。
ただ、その人の中でできる取り組みの根本的なところは、この講和のような陰陽のしくみになっているのではと感じます。
貴重なワークシェア、ありがとうございます。
※セッション後にいただいたメッセージ等は、お伺いすることなく 抜粋してブログにて匿名でシェアさせていただくことがあります。
・・・潜在意識にアクセス
・・・2つのOSHOカードでリーディング&チャネリングしメールにてお伝えします
・・・見つけられるのを待っているデータに会いに行きます
・・・古いパターンを架け替え自ら望む生き方を創る
・・・禅のカードを使い自分と繋がり読んでいく
・・・自分を知り、自分を生かしていく、何をしていてもセラピストを目指します
・・・自由にお話しながら、その時必要だと感じることをします
・・・ステップワーク「感情を観る」
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