この世に命が与えられた理由はね
ひとりひとりの波動を高く上げていくことなんだ。
波動を高く上げて行って、すべてのことを循環させていく。
仕事も、お金も、生活も、全て。
良い波動には、良い波動が繋がっていく。
波動は「竜」だ。
生きている鼓動、響きあう心。
全てが波動になって、上昇していく。
そのために、命を与えられたし、目に見える身体を与えられた。着るもの、住む家、言葉、音楽・・・全て目に見えるものは、そのために与えられたものざね。
それを「持つ」ことに執着してはいけないんだよ。
次に流すこと。回すこと。
次の世代につなげること。
執着することによって、氣が滞る。
とどまってしまう。だからよどんでしまう。
どうでもいい人間的な思いにとどまってしまう。
人は神性を発揮すべきだ。
もっと、自分を誇っていい。その心の底にある神性に目覚めていい。
ただ、ありのままでもうそのままで、尊いのだから。
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この前の投稿で書いたことの続きです。
命が与えられ、身体が与えられたのは、自分の波動を上げていって、同じ波動の人とつながり、さらに上げていくことなんだと気づきました。
波動が上がった状態で、お金も仕事も回していく。
そうすると螺旋のように上昇していくのだと思います。
互いに助け合い、いたわりあいながら、上昇していく中で
楽園を創り出していく。
そのために私たちは生まれてきたのに、目に見えるもので多い少ないと他人と比べたり、容姿や言動を揶揄したり、人の尊厳を無視したりする。
それはとても人間的な閉鎖された低い次元の考えで、魂の本質的な役割にはまったく関係がないことなんです。
目に見えることに執着しすぎないこと。
小さなことに喜びを見出すことで、本当の自分を取り戻すことができると思います。
自分の本当の気持ちに気づくには、資格なんていらないし、過去の実績や、学んだことも関係ない。地球上で得たことは全て気づくためのきっかけにしかすぎない。
もう手放していいんです。
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少し前に書いた文章だけど、すべてに的を得ていて、もうこれ以上付け足すことはなにもないなと思いました。
ずっと考えていたこと。
心と魂を別のものとしてとらえた時、目に見えるものはもう手放していいんだと思いました。
今までの価値観、これが全てと思っていたこと、仕事も、お金も、人間関係ですら、目に見える範囲のものには特別な意味はない。むしろその奥深くにある本質を見た時、それは枝葉末節に過ぎなくて、こだわる必要もなくて、もし心を占めていることがあってもそれと魂の嗣業とは全く関係がないこと。
魂の嗣業に直結した人たちがもうすでにこの世に顕われていて、その人たちの偉業を見るにつけ、もう今までの価値観は必要ないことを痛感します。
これからは過去を全て水に流そう。こだわっていたものも全て手放そう。
もうこれでいいんだ、私は精一杯やってきたんだ。
その次にある次元に移行しよう。魂の嗣業へ。