いやぁ~・・・、今年も終わりが近づいてきましたね~(^^)
ホント時間が経つのは早いものです。
今日は、先月アップした『魂のプロセス2016「犠牲」』に続きまして、「慈悲」のプロセスについてお届けしようと思います![]()
「慈悲」という言葉は、このブログではよく使っているのですが・・・。
世間一般的にはあまり耳にしない言葉かもしれません。
でも、あるじによると・・・、この慈悲というものが「犠牲」を越えるためや、他にも人生のさまざまな場面の中でとても重要なキーになるようです。
ということで・・・、いったい慈悲ってなんぞや?・・・というところから、あるじと一緒に掘り下げていこうと思います(^^)
おーい、あるじぃ~(´0ノ`*)
あるじ「ふっふっふ、今さら慈悲とはなんぞやと言う必要はあるまい。
過去には何度か伝えてきているし、皆大体はわかっているはずだ。
それよりも、お前は慈悲についてどう思うのだ?」
うおぉ・・・、また質問跳ね返されたぁ~(^^;)
・・・うーん・・・そうですねぇ・・・。
慈悲って、自分の中から生まれてくるあたたかいもの・・・と言いますか・・・。
なにか感動的で、慈しみに満ちたエネルギーだと思っています(^^)
あるじ「うむ・・・、そうだな。
よく愛と慈悲はセットで語られることがある。
しかし、その違いについては、あまり語られることはないな。
では、ここでハッキリさせようか。
慈悲というのは、ピースの言うように、内側から力強く生まれてくるものだ。
一方で、愛はそれに加えて他者へ届ける行為も含むもの・・・。
実際に、あたたかいアドバイスや、物理的なさまざまな奉仕を届けることは愛と言えるだろう。
つまり、慈悲はよりわかりづらく、目に見えない内面で発生するものであり・・・。
愛はよりわかりやすく、目に見える部分でも認識しやすいものと言えるだろう・・・。
それ故に、多くの人が誤解しているのだが・・・。
なにか自分の身を挺して他者に与えることこそが愛・・・という世間一般の風潮があるのだ。
だが、それは違うのだよ。
その風潮に合わせようとすればするほど、人は犠牲になってしまう。
では、どうすればいいのだろう?
ここで、慈悲が出てくるわけだ。
自分がある人のことを想った時に、心から湧いてくる慈しみのエネルギー・・・。
それをまずは自分に満たすことが大切だ。
それによってバランスが取れるわけだ。
その上で、さらにエネルギーが溢れるならば、相手の気持ちをおもんばかり、愛の行為として自分に何ができるかを考える・・・。
この様な『慈悲』から『愛』へのバトンタッチが大切なのだ。
その時に、表面的な愛に捕らわれていた時は気がつかなかった、さまざまな視点が見えてくる。
『ああ・・・あの人はこんなにも苦しんでいたんだ・・・。』
『ああ・・・自分はあの人のことをまだ全然わかっていなかった・・・。』
そんな想いを相手に届けることは、それだけでも大きな癒しになるのではないだろうか。
もしくは同じ言葉を届けるにしても、背景にそのような慈悲を持つことで、アドバイスにもあたたかさが加わり、人の心に届きやすくなるだろう。
実は慈悲は・・・、向き合った人の心を透視する才能と直結している。
慈悲があればこそ、人は初めて人の心を見通すことができ、その心に合った言葉とエネルギーを届けることもできる。
ピースもこの努力を続ける中で、今年はずいぶん苦労していたが・・・。
人に対して慈悲を持って向き合うということは、非常にエネルギーを使うことだ。
しかし、それがあればこそ、人の心は本当の意味で少しずつあたたかく・・・幸せになっていくもの・・・。
多くの父親、母親はそのことを実感していることだろう。
苦労しながらも、子供のことを心から想い、しっかりと心を持って向き合った時に・・・。
やっと道が開けるように、あたたかく幸せな礎が少しずつ見えてくる・・・。
そう・・・そこにはちゃんと慈悲があるのだ・・・。
人生とは、そのような努力の繰り返しであると・・・。
このブログを読んでいる皆さんは、よく頑張っていらっしゃる・・・。
苦しくとも耐え・・・。
自らを愛すること・・・。
向き合っている人を愛することを、一歩ずつ挑戦していらっしゃる・・・。
これはね、実は全ての魂がそうしたくてこの地球にやって来たと言っても過言ではないぐらい重要なことだ。
魂は、この慈悲のプロセスに到達すると、力強くあたたかな慈悲が内側から溢れてくることがある。
すると、少しずつだが、自分自身へも慈悲を満たせる様になっていく。
そして、段階的に力強い慈悲を内側に宿していくのだ・・・。
社会のさまざまな荒波にもまれながら・・・この慈悲はさらに力強い輝きへと育まれることもある・・・。
目に見えないさまざまな攻撃や負担に耐えながら・・・慈悲はさらに力強く清らかに育まれることもある・・・。
この世界のさまざまな矛盾や人間関係の摩擦の中で・・・慈悲はさらに力強く大きな輝きへと育まれることもある・・・。
今年は、このブログを読んでいた多くの人が、この様な困難を乗り越え・・・知らず知らず内側に力強い慈悲を湛えてきた年だった。
皆・・・、よくここまでやってきたね・・・。
実は、今年は非常に大きなターニングポイントでな。
ここから先は、これまで慈悲を高め育んできた者ほど、現実でも福を得ていくことになるだろう。
ただ”福”とは、必ずしも物質的、経済的なことではないかもしれない。
それは、人間関係や家族関係の調和・・・。
ずっと大切にしてきた目標が大きく前進すること・・・。
今までどうしても乗り越えられなかった内面の課題が大きく改善すること・・・。
そのように、さまざまな形でやって来るのだ。
つまり、ここからの時代において、慈悲は福の源とも言えるだろう。」
おお・・・、そうなのですか・・・∑(゚Д゚)
来年は苦労して慈悲を磨いてきた人は、やっと報われていく・・・ということですね・・・(TωT)
その言葉、もう長年待っていましたよぉ~!(TДT)
あるじ「そうじゃろうな・・・。
実は、このことについては、ワシも胸を痛めていてな・・・。
この20年ほどの間、人類には非常に厳しい試練が与えられていた・・・。
それは、特に目に見えない領域で起こっていてな・・・。
2000年を越えたあたりから、少しずつ優しくなっていったとはいえ・・・、このブログを読んでいるような精妙で優しい心の持ち主には、非常に過酷な時代だったのだ・・・。
だが・・・、これまで耐えてきたあなたは、その分慈悲が磨かれている・・・。
だから、来年はきっとなにかしらの福がやって来るだろう。
ただ・・・。
もしあなたが、これまで過剰に自分を守っていた場合。
例えば、本来なら慈悲を開くべきための機会から逃げたり、攻撃的になることでその機会を跳ね返すことが多かったとしたら・・・。
来年からは、人間関係に慈悲を持って向き合うような流れがやって来るはずだ。
時代の流れが慈悲へと入っていくので、そこが足りない場合、気づかされる出来事が徐々に増えてくるというわけだ。
逆に、慈悲を持ってこの社会を陰から支える側だった者は・・・次第に、この社会でも実力を発揮するケースも増えてくるだろう。
いよいよ時代が慈悲を求めはじめる・・・ということでもある。
だからな、もし自分を振り返って、慈悲を深める機会を逃していた・・・と思い当たる者は、今からでも遅くはない。
なぜ自分がそうだったのか・・・内面の至らなかった部分と向き合い、少しずつでも慈悲を持って自分自身やこの世界と向き合う様に心がけていこう。
ただもちろん、この時にあまり厳しく自分を見つめることはないよ。
やはり、人間関係はさまざまで、無理をせずに距離を置くべきケースも多いのだ。
その場合、もし自分の中でモヤモヤなどの感情が残っていたら、心の中で出来るだけ慈悲で相手を見つめてみるだけでも、スッキリするかもしれない。
そう・・・慈悲は愛と異なり、自分の中にしっかりと宿していくことができる。
それは自分を癒やす力にもなり得る。
愛は外に奉仕する側面が強いのに対して、慈悲は内側に宿すものなので、自分自身を癒し、幸せにする力を持っているのだ。
慈悲は、まず最初は人と向き合うことを通して生まれてくるものだが・・・。
よくよく考えると、実は救われるべきは自分自身だということが見えてくるものでもある。
つまり、慈悲が湧いてくるきっかけとなった相手と、同じような心の痛みを、自分自身も心の奥に抱えている・・・ということだね。
だから、よく言われるように『自分=他人』なのだよ。
人間関係とは、他人を知り、自分を知り、そして・・・まずは自分自身に慈悲を満たしていくためのものなのだ。
もう一度言うぞ・・・。
人間関係とは、まず自分自身に慈悲を満たしていくためのものだ。
神がそのようにこの世界を創っているのだ。
人間関係という土壌を通して、本当の自分を取り戻していけるようにな・・・。
だからこそ、人は人間関係で思い悩み、複雑にいろいろと考えるもの・・・。
その葛藤があればこそ、自分なりの道と、心からの納得・・・そして慈悲が生まれるのだ。
そして、究極的には、『力強い慈悲があれば全ては解決に向かう』とも言える。
簡単ではないが、自分のペースで一歩ずつ歩めばいい。
これこそが人生の最大の要点でもある。
過去の習慣から、すぐになんとかして他者に届けようと、あまり頑張り過ぎんことだよ。
時にそういう姿勢も大切だがな。
本当に今がそのタイミングなのか・・・まずは自分自身をよく見つめてみることだ。
そのようにして、『愛』と『慈悲』のバランスを大切にな。
『愛』だけでは、犠牲になりやすい。
逆に自分自身に『慈悲』を満たすだけでは、人間関係を避けることに繋がり、かえって慈悲は育たないのだ。
そのような場合は、人と向き合うことも大切にすることで、『愛』と『慈悲』のバランスが保たれ、慈悲はより大きく育まれていくことになる。
その時に、そなたはこれまで見えてこなかった、さまざまな真実に気付くことだろう。
この社会がいかに人を犠牲に誘導しているか・・・ということも含めてな・・・。
だが、この社会が悪いわけでもない。
犠牲もまた、魂には必要なプロセスなのだ。
たまたま、このブログを読む多くの者が、犠牲を終えて慈悲を満たすプロセスに入ろうとしている・・・ということなのだよ。
だから、あまり大きな声で言えることではない。
社会は社会として、必要があって存在している。
そして、あなたに慈悲があれば、この矛盾だらけの社会すらも慈しみの目を持って受け止めていけるだろう。」
ああ・・・そうですね・・・(TωT)
僕はこれまで、心のどこかに反社会と言いますか・・・、まだそういう部分があったように思います。
でも、今年はいろいろあって、自分自身と向き合わせて頂く中で、それも結局は自分の心の傷だったのだなぁと気付かせて頂けました・・・。
スピリチュアルが社会よりも上なわけでもなく・・・。
もっと言えば、慈悲がある人がない人よりも優れているわけでもないのです。
ただただ、全ての命が素晴らしいというだけなのです・・・(TωT)
全てのプロセスを歩んでいる魂は皆、独自の美しい輝きを湛えていて・・・。
全てが必要な経験として、この瞬間に存在しているのです・・・。
僕は今年、やっとその理解が自分の深い部分に染みわたったなぁと感じています・・・(*´Д`)=з
あるじ「そうだな。
これを読んでいる多くの者は、それぞれお前とは違ったプロセスを歩んでいるが、きっとそこに共感する者は多いことだろう。
多くのスピリチュアルの活動が、この社会を変えようと意気込んでいるが・・・。
しかし、社会はたいして変わらんよ。
犠牲の社会も、まだまだ人類には必要なのだ。
だから、社会を変えようとするよりも、自分も含め犠牲を生きている一人一人の心に慈悲を持って向き合うことこそが、大切だとは思わないか?
そうすることで、その人はやっと心にあたたかさを取り戻し、少しずつ犠牲を終えていけるもの・・・。
そこにあたたかな慈悲の言葉が向けられた時に・・・、ハッと気づくことができるのだ。
自分がいかに自分に厳しく、それがいかに不自然だったかをな・・・。
しかし・・・、この様な慈悲を持って向き合うことは非常にエネルギーを使うものだ。
どうかまずは自分自身に慈悲を満たし、その上でエネルギーが溢れた時に他者に向ける愛を創造していけばいい。
それが幸福の秘訣だ。
聞いてくれて、ありがとう。
有意義な時間だった。
そなたの中で、この記事の必要だと感じる部分・・・大切だと思う部分をどうかよく心に染み込ませてほしい。
難しく感じたり、まだ無理だと感じる部分はスルーしていいよ。
人によっては、そのようにして時間を空けて何度も読むとよいだろう。
そのたびに、そなたは自分の中のまだ見ぬ可能性を見出し、この世界の新しい視点を得ることになるはずだ。
では、また会おう。」
あるじ、ありがとうございました(^^)
そうなんですよね・・・。
慈悲を持って人と向き合うことは、かなりエネルギーを使うことなのです・・・。
でも、そうした先に築ける本当の信頼関係は、とっても嬉しく、心から幸せなものです。
僕はこれまで『ちゃんと向き合ってよかったぁ~(*TДT*)』と思うことが、たくさんありました。
その時は本当に心があたたかく幸せで・・・、一山越えた感覚があるのです。
でも・・・、人間関係って難しいのは、また一山やって来るのですよね(^^;)
今年は特にそういうものが立て続けに来て、自分に実力では向き合いきれなかった部分もありました・・・。
ただもう、それで自分を責めることはなくて・・・、今は全部が必然で、実は全てが調和していたのだなぁと感じています(^^)
やっぱり、あるじの言うとおり、慈悲はまず自分に満たすものですね(*´ω`*)
それによって、他者へも自然とあたたかく接することができる・・・。
そういう自然な循環を大切にしていきたいものです。
よかったら、これからも共に一歩ずつ、まず自分を大切に歩んでまいりましょうね(^^)
あ・・・、ちなみに・・・残りのプロセス「貢献」と「覚醒」については、結局来年になることが確定しました(^^;)
(今年はもう一つ記事をアップしますが、そちらでは扱わない予定です。)
来年になっても「魂のプロセス2016」ということで、マイペースで綴っていけたらと思います。
もしよかったら、この続きもお楽しみにです(^^)
ご覧下さりまして、ありがとうございました。