ある行為の結果として跳ね返ってくる事柄を「報い」と言います。
私たちが生活する三次元の世界において、この「報い」とは切っても切れないもの。
良い「報い」もあれば、悪い「報い」も生じるのは事実で、誰もがそれを経験しているはずです。それはまるで呪縛を背負っているかのように、その「報い」は否応なしに突然に訪れます。
前述した、ある行為とは、行動だけではありません。多くの場合、自分が発した言葉によるものです。つまり言霊です。
憎しみを持った悪意の言葉。
慈しみに溢れる善意の言葉。
私たちが生きる三次元では、清と濁の二つの言葉のエネルギーに支配されています。
自分が発する言葉には必ず責任が生じます。このことをおざなりにして、むやみやたらに言葉を発していると、いつか必ず「報い」として跳ね返ってくるのです。
宿曜経では、この「報い」のことを「業」と言います。「業」とはカルマを意味し、「因果応報」を説いています。
たとえばあなたが「張宿」なら、「業」に当たる宿、「箕宿」にカルマの答えが隠されています。それは過去からの宿題のようなものです。
そして、カルマが生じる魔のウィークは、そのカルマを浄化させる絶好のチャンスです。
いたずらに魔のウィークを恐れず、カルマの浄化のための修行の日々だと解釈すれば、これほどありがたいことはないでしょう。
カルマを避けてばかりいると、3倍返しに跳ね返ってくることを忘れずに過ごしましょう。
カルマとはそういうものなのです。