この前、高野山に行ったのだが…
そこで感じたのは場の波動である。
大伽藍の中、根本大搭の畳の上。
ビリビリと波動が感じられる。
空海がなぜこの場に修行道場作ったのか…
その理由の一つだと考えられる。
それとは逆に…
京都の東寺…
ここは余り感じなかった。
(私の感度では…)
ここがちょっと面白い。
東寺も空海が関わっていたが、
空海が選んだ場ではない。
何らかの施しをしたとは思うが、
今ではそれも薄らいだのではないかと思う。
空海は晩年、高野山に帰りたかったに違いない。
自らが選んだ修行の場…
そこにこそ意味があるからである。
場の力を上手く使えばこそ開く扉もある。
滝行などもその一つ…
そらうみガイドも同じである。
好きな波動に抱かれることは心地良い。
空海もそれを望んでいたのでは?
私はそんな気がするのである。
