青い空が羨ましく思えた。
自らの心とは裏腹。
その空の青さが心に染みる。
だが、その青さは直ぐに黒い感情へと変わって行く。
「紗那…」

釣殿の縁に立ち庭の池を見ている。
池の水面には空の青が映っている。
その池の中に魚が泳いでいた。
魚は水の中でしか生きては行けない。
どんなに美しい空が見えても、空には行けない。
ただ、水の中から空を見ているだけだ。
時折そこから飛び出しても、一瞬でその世界に引き戻されてしまう。
「私も…同じ…」
東子は崩れそうになる心を懸命に支えていた。
嫌な予感がする。
兄の姿が見えない。
兄の仲成に全てを打ち明けた。
兄は紗那のことを女として見ている。
だが、東子にとってそれは関係ない。
男でも女でも関係が無い。
ただ紗那といたいだけだ。
一緒にいる時間だけが、東子の全てなのだ。
だが、兄の仲成は違う。
欲しいものは力で奪う。
紗那がもし、兄の言うことを聴かなかったら…
東子のその不安が未来を創造していく。
「紗那…私の紗那…私の愛しき人…」
東子は青い空に向かって祈った。
「どうか…命だけは…」
生きていて欲しい。
それだけを願った。
そのためならこの身を帝に捧げても良い。
そう願った。
もう会えなくても、生きていてくれさえすればいい。
東子は青い空にその想いを込めた。
牛車の車輪の音が耳障りであった。
その牛車の中で仲成は唇を噛みしめていた。
「あれは、誰だ…」
人気の無い森にわざわざ誘い込んだ。
どんな手を使っても、従わせるつもりであった。
紗那を自分の女にし、東子を後宮に送る。
それが全ての目的であった。
だが、女である筈の紗那に、東子を奪われるとは夢にも思っていなかった。
その事実に驚きはしたが、考えが変わった。
仲成の中の黒いものが動き出した。
紗那は女だ。
その事実からは逃れようがない。
「もう少しであったものを…」
嫌がる者を従わせる。
これほど甘美な感覚はない。
しかも、それが女となるとその味は格別だ。
そして、紗那の身体は女でも心は男だ。
しかも、妹の東子を好いている。
嫌がることは百も承知だ。
だが、その嫌がる女を自らの元に跪かせる。
これほどの快楽はない。
仲成の中の黒いものが、それを求めていた。
だが、邪魔が入った。
しかも、その者に怯えた。
理由は分からない。
自分の中のものが怯えたのだ。
自らの快楽を生み出す黒い塊。
それに動かされ取った行動が、逃げると言うことだったのだ。
「何なのだ…あの感覚…」
気がつくと、噛みしめた唇から血が流れていた。
その着物の袖を汚している。
懐紙を出そうとしたとき気がついた。
「俺は…震えているのか…」
手が震えて取り出せない。
「俺が怯えているのか…」
仲成は更に強く唇を噛んだ。
握りしめた拳の甲で流れ落ちる血を拭った。
「何故だ…俺は藤原仲成だぞ!」
その理由は、中に潜む黒いものだけが知っていた。

続く…
-この物語はフィクションであり、史実とは異なります。
実在の人物・団体とは一切関係ありません-