「修整はしないで、お願いだから。これでいいのよ」と、ソフィー・マルソーは言った。目尻に皺の残る自身のポートレートを見ての言葉である。
私たちは、当然のことながら歳をとる。歳をとるということは細胞の働きが悪くなるなどして見た目にも瑞々しさが損なわれていくことでもある。つまり、老化というものと向き合っていかなければならないのだ。
それはソフィーの言う目尻の皺であったり、ぽつぽつと見え始める白髪かもしれない。苦労を知らない指先がかさかさに見えるときかもしれない。
しかしときにそれは年齢を重ねた女性だけが持つ強靭さや包容力をイメージさせはしないだろうか。
ここ数年の傾向にある、『三十代女子力』という言葉にはひどく違和感を覚える。三十代を過ぎて『女子』と形容することの恥ずかしさを、ニッポン人はどこに置き忘れてしまったのだろうか。
現代ではたしかに、昔の同年代よりも随分と若返ったと言われている。とはいえ三十代ともなれば否応無しに二十代とのくっきりとした差を思い知らされることになるのが常だ。ちやほやされていたはずのポジションがいつの間にか誰かに奪われていることだろう。男性は以前のように気軽に誘ってはくれなくなる可能性もある。しかしそれが女の成長過程なのである。
いつまでも若い頃の栄華に引きずられたり、憧憬を抱いたままではアンバランスになるだけだろう。「キュートな」や「小悪魔的な」などというキーワードに気をとられて、服装やメイクが、言動や思想が、ちぐはぐになっている女性を見かけたことはないだろうか。そして、物悲しい気持ちを抱いてしまったことも。
同年代の女性が女性らしさを失っていくのを見ることこそ、悲しい気持ちになるものはない。私たちは社会では世代交代を余儀なくされ、自身の老いと向かいあうことで、『女』としてのバランスを保っていくのだ。
さて、そうは言ってもやはり誰にも相手にされず自己満足で完結しているような人間を『女』とは言わないだろう。出来ることなら異性からも認めてもらいたい気持ちもある。でも若い子には叶わない……。であるなら、いっそのこと目尻の皺を見て「おばさん」と揶揄するようなレベルの人間には、こちらから見切りをつけてしまってもいいのではないだろうか。世の中には数多の男がいるのだ。同じくして『男』としてのバランスを保っている異性とカンバセーションする方が楽しいに決まっているのだから。
歳を重ねるということは後ろ向きになりがちであるけれども、社会の、そして女のバランスを保っているのだと思えばそう悪いことではないもののように思える。そして年相応に見られながらも、「いい女だね」と囁かれるような“女バランス”を、常日頃から模索していきたいと思うのである。