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第一話、第二話、第三話、第四話、第五話、第六話、第七話
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目の前に置かれたマティーニのグラスが薄い霧に覆われて、透き通った液体がゆわりと揺れる。
指先から、チロチロと舌を出した細い蛇のように酔いが這い上がってくる。
同時に、渦巻いていた憎しみと怒りが、ゆっくりと悲しみに変わっていった。
信じていた婚約者の裏切りは腹立たしい。けれど、それが最大の理由ではないのかもしれない。
「夫はね、いらないの。血もつながらない男の世話を焼くのに時間を費やすなんて、無駄よ。そんな集中力はすべて自分の子どもに向けたいのよ。男からは優秀な遺伝子をいただければ、それで充分なの」
背筋を伸ばしたまま、艶然と微笑む瑞穂の赤い唇が脳裏をよぎる。
弘幸との結婚を目前にしていた沙弓にとって、瑞穂の言葉は衝撃的だった。けれど沙弓は、そんな事を明言できる彼女がなんだか眩しく、格好良いとさえ思ったのだ。
職場でも、多少上司とぶつかることがあっても、瑞穂は決して妥協することがなかった。一度は方向性を変えたかのように見えても、気がつけば最終的にはいつも瑞穂の提案通りに事が進んでいた。
意志の強い女性だったはずなのだ。
バーを出て、トイレに向かう。大きな鏡の向こうには、カサカサとした唇の女が、うつろな表情でこちらを見上げていた。
口紅をひきなおす。
そして、ロビーの隅で沙弓は立ち止まり、震える手で鞄から携帯電話を取り出した。
何回呼び出しても相手は出ず、留守番電話につながった。
電話を切り、沙弓はもう一度発信ボタンを押す。
「もしもし」
聞きなれた、かすれ気味の寝ぼけ声が沙弓の耳の奥にしみわたる。
ああ、この声だ。
付き合い初めの頃、この声を聞きたくてたまらなかった。
いつも、弘幸が眠っているであろう時間を見計らっては電話をしたものだ。
眠る前の、夜遅くの事もあったし、早朝のこともあった。
無防備で、少しセクシーなこの声に、何度うっとりしながら耳を傾けたことだろう。
そしてこの声が自分のものであることを確認するたびに、何度くすぐったいような気持ちになったことか。
鼻の奥をツンと痛いものが走る。
「わたしです。沙弓」
電話のむこうが一瞬、静寂に包まれた。
……つづく
第一話、第二話、第三話、第四話、第五話、第六話、第七話
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目の前に置かれたマティーニのグラスが薄い霧に覆われて、透き通った液体がゆわりと揺れる。
指先から、チロチロと舌を出した細い蛇のように酔いが這い上がってくる。
同時に、渦巻いていた憎しみと怒りが、ゆっくりと悲しみに変わっていった。
信じていた婚約者の裏切りは腹立たしい。けれど、それが最大の理由ではないのかもしれない。
「夫はね、いらないの。血もつながらない男の世話を焼くのに時間を費やすなんて、無駄よ。そんな集中力はすべて自分の子どもに向けたいのよ。男からは優秀な遺伝子をいただければ、それで充分なの」
背筋を伸ばしたまま、艶然と微笑む瑞穂の赤い唇が脳裏をよぎる。
弘幸との結婚を目前にしていた沙弓にとって、瑞穂の言葉は衝撃的だった。けれど沙弓は、そんな事を明言できる彼女がなんだか眩しく、格好良いとさえ思ったのだ。
職場でも、多少上司とぶつかることがあっても、瑞穂は決して妥協することがなかった。一度は方向性を変えたかのように見えても、気がつけば最終的にはいつも瑞穂の提案通りに事が進んでいた。
意志の強い女性だったはずなのだ。
バーを出て、トイレに向かう。大きな鏡の向こうには、カサカサとした唇の女が、うつろな表情でこちらを見上げていた。
口紅をひきなおす。
そして、ロビーの隅で沙弓は立ち止まり、震える手で鞄から携帯電話を取り出した。
何回呼び出しても相手は出ず、留守番電話につながった。
電話を切り、沙弓はもう一度発信ボタンを押す。
「もしもし」
聞きなれた、かすれ気味の寝ぼけ声が沙弓の耳の奥にしみわたる。
ああ、この声だ。
付き合い初めの頃、この声を聞きたくてたまらなかった。
いつも、弘幸が眠っているであろう時間を見計らっては電話をしたものだ。
眠る前の、夜遅くの事もあったし、早朝のこともあった。
無防備で、少しセクシーなこの声に、何度うっとりしながら耳を傾けたことだろう。
そしてこの声が自分のものであることを確認するたびに、何度くすぐったいような気持ちになったことか。
鼻の奥をツンと痛いものが走る。
「わたしです。沙弓」
電話のむこうが一瞬、静寂に包まれた。
……つづく