さて、三十過ぎの母親が目立つようになった昨今。ここまで増えると「お前の母ちゃんお婆ちゃん!」なんて子供がはやされなくて済む、と思っていた矢先のこと日経新聞3月10日の生活面に『高齢初産』なる見出しが目に入った。つづいては「産み場所探し難航」とある。
さては不安を煽りつつ若者に孕ませようって寸法では、なんて邪推しつつ、実際高齢出産になると受け入れを見合わせる病院もあるそうなのでその辺は頭に入れておくべきことでもあるのだろう。
とはいえニッポンは大昔の基準を見直すこともなくそれを、『純然たる現代の基準だ!』と言って憚らないところがあるので怪しいと言えば怪しい……。
確かに栄養の不足していた旧い日本では体力の問題なども含めて35歳説も頷けることと思う。でも、今や豊かになりすぎて現代病に喘ぐほどの体躯を考えれば、そのボーダーラインは変わってもいいのでは?と言う気もするのである。
それは単純に基準値を変えろということではなくて、病院で『断られる』という門前払いに対応すべきだと言うことだ。確かに子育ては体力勝負の面もあるし、出産というイベントは精根尽き果てるほどに大変だ。現代でも出産に伴う死亡はあるのだから若いうちに産んだ方がリスクは少ないというのも頷ける。
けれどもそう言って35歳以上の出産を危ぶんでいては少子化が益々進むばかりじゃないの。女性はそのリスクを知りながら産み時を考えなければならないし、医療機関はどのような女性であっても快く受け入れて欲しいというのが本音ではないだろうか。
お金の問題もそうだが、それは本質ではない。子育てにお金はかかるけれど、闇雲に給付金をあげることが全ての解決とは思えない。どの給付金にもあることだが、額が増えれば『給付金詐欺』も増えることを考えて欲しい。
それなら、減少する出産場所や35歳以上の出産に対する受け入れ確保、保育施設の充実や企業のもっと積極的な雇用促進などの対策に力を注いで欲しい。地方部ではまだまだ働くお母さんなど少ない。かといって子だくさんかと言うとそうでもない。働こうにも働く場所がなく、働いていないと預ける保育先もないとなるともう一人産む余裕など出来ないよ!とは考えられないだろうか。
全ては短絡的に考えれることではないだろう。でもだからといって産む場所に難航するなんて、ただでさえ妊娠に消極的な女性が増えているというのに不安を煽る材料ばかりじゃないかと気を揉んでしまうではないか。本気で子供を増やすことを考えれば、気安く産める環境があるってことは第一条件じゃないかな、と思わないでいられないのである。
さては不安を煽りつつ若者に孕ませようって寸法では、なんて邪推しつつ、実際高齢出産になると受け入れを見合わせる病院もあるそうなのでその辺は頭に入れておくべきことでもあるのだろう。
とはいえニッポンは大昔の基準を見直すこともなくそれを、『純然たる現代の基準だ!』と言って憚らないところがあるので怪しいと言えば怪しい……。
確かに栄養の不足していた旧い日本では体力の問題なども含めて35歳説も頷けることと思う。でも、今や豊かになりすぎて現代病に喘ぐほどの体躯を考えれば、そのボーダーラインは変わってもいいのでは?と言う気もするのである。
それは単純に基準値を変えろということではなくて、病院で『断られる』という門前払いに対応すべきだと言うことだ。確かに子育ては体力勝負の面もあるし、出産というイベントは精根尽き果てるほどに大変だ。現代でも出産に伴う死亡はあるのだから若いうちに産んだ方がリスクは少ないというのも頷ける。
けれどもそう言って35歳以上の出産を危ぶんでいては少子化が益々進むばかりじゃないの。女性はそのリスクを知りながら産み時を考えなければならないし、医療機関はどのような女性であっても快く受け入れて欲しいというのが本音ではないだろうか。
お金の問題もそうだが、それは本質ではない。子育てにお金はかかるけれど、闇雲に給付金をあげることが全ての解決とは思えない。どの給付金にもあることだが、額が増えれば『給付金詐欺』も増えることを考えて欲しい。
それなら、減少する出産場所や35歳以上の出産に対する受け入れ確保、保育施設の充実や企業のもっと積極的な雇用促進などの対策に力を注いで欲しい。地方部ではまだまだ働くお母さんなど少ない。かといって子だくさんかと言うとそうでもない。働こうにも働く場所がなく、働いていないと預ける保育先もないとなるともう一人産む余裕など出来ないよ!とは考えられないだろうか。
全ては短絡的に考えれることではないだろう。でもだからといって産む場所に難航するなんて、ただでさえ妊娠に消極的な女性が増えているというのに不安を煽る材料ばかりじゃないかと気を揉んでしまうではないか。本気で子供を増やすことを考えれば、気安く産める環境があるってことは第一条件じゃないかな、と思わないでいられないのである。