物語が、始まる (中公文庫)/川上 弘美

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恋とか愛とかではなくて、もっと本質的で原始的で、シンプルな気持ち。
ただ「好き」だとか、「いとしい」だとか、そう感じることにまっすぐ向き合ったとき、そこから見える景色を淡々と描いた作品だと思う。

男の、「雛型」を拾って、そして育てる、という話。
一見、荒唐無稽なこの設定を、冒頭からすぽーんと放り出すようにして目の前に置く。
そこから、独特の川上弘美ワールドが、ぐいぐいと力強く広がってゆく。

「雛型」は、雛型なので育てる人間によってどんな風にでもなることができる。
主人公の「ゆき子さん」は、雛型に「三郎」という名をつけた。
絵本の読み聞かせをしたり、基本的な会話を教えたり、初めの頃母と子のようだった二人の関係は、雛型が「三郎」という名を持つ若い男になるにつれて、少しずつ、少しずつ、変わってゆく。

それにつれ、「ゆき子さん」と、恋人の「本城さん」との関係も、揺らいだり軋んだりしながら、少しずつ違うものへと変容してゆく。
その、どうしようもなさ、不可抗力的なぼんやりした悲しさ、あきらめに似た呆然とした感じが、じわじわと物語にしみだしてくる。
誰にもどうすることもできない、大きな強い流れが、遠くからうねってくるのがわかる。
変わってしまうこと、違うものになってしまうことの、寂しさ。

どんどん成長する「三郎」は、「ゆき子さん」を愛するようになり、初めは笑いながらあしらっていた「ゆき子さん」もまた、「三郎」へと傾倒して行く。
「三郎」に抱きしめられるときの気持ちは、膜を隔てているような、それなのに理性では制御しきれないくらい好きになってしまうような……、幼い頃の肉親への愛着にもよく似ているけれども、「それよりもさらになつかしい原始の記憶」のようなものだった。

二人の関係性が密度を増していくにつれて、物語の底辺に流れているさらさらとした悲しみの音色が、どんどん透明感を強めていく。
幸せなはずなのに、穏やかなはずなのに、つねに一音だけ外れているような、不安定な気配が淡く淡く漂っている。
それは結局のところ、どんなに好きになっても、どんなに大切に思っても、相手は「人でないもの」、「雛型」であるというところに由来しているのだろう。

そしてあるとき、……「最後」というのは、何の予感も前触れもなく、訪れる。
幸せな日々が、極まったときに。

『たぶん、あれが私たちのもっとも幸せな時間だったのかもしれない、と思う場面がある。』

本文中に描かれた、その「幸せな時間」は、あたたかく、やわらかで、決して取り戻せない明るさに満ちていて、何度読み返しても、涙腺がゆるむ。

「まだ、始まったばかりなのよ、私たちは」と、「ゆき子さん」は言ったのに、終わりはやってきてしまう。
その、「終わり方」に正面から向き合いながら、私は「終わる」ということの意味について、深く考えた。
「終わる」ということは、それはそのまま、何かの「始まり」へとつながっていくのだと思った。
「三郎」は終わり、そしてまた、新しい物語へと続いて行く。
それが「生きながらえるということなのかもしれない」、と「ゆき子さん」もつぶやく。
読み終わって本を置いたとき、悲しみと、甘い痛みと、ほのかな明るさが胸に残っていた。

Written by YUDU MIZUHARA